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2018.10.05

社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)

スマナサーラ長老と行くブッダ八大聖地巡礼〔インド旅行記(5)〕

サンガツアー祝10周年! 2004年インド旅行記 特別掲載

2004年に書いた「インド記」が
まさかこんなかたちで復活するとは、
夢にも思わなかった。

そして今、インドの旅を思い出してみると、
真っ先に浮かんでくるのは
「聖地ラージャガハ」でのことだ。

2011年に刊行した
『ブッダの聖地』に載っているエピソードだが、
ここでは、ビンビサーラ王が
息子のアジャータサットゥに幽閉された
牢獄のあった場所といわれている。

実はそこには、今はなにもない。
ただの原っぱと、
たくさんの轍が刻まれた道があるだけで、
しつこい物乞いしかいなかった。

でも、スマナサーラ長老の話を聞くと、
このときのエピソードが、
まるで映画をみているように、
ありありと目に浮かんだのを憶えている。

 

ツアー予約者数 最新情報

ついにツアー予約数は、71名となった。
キャンセル待ち4名。
みんな本当にありがとう。

「スマナサーラ長老と行く八大聖地」の旅なので、
「どうしても参加したい」という、みんなの気持ちは、とてもよくわかる。
だから、希望者全員がなんとか参加できるように、
いま
、現地の受け入れ態勢を、ツアー会社と相談している。

そして、このブログで続けてきた
僕が2004年に書いた「インド旅行記」の特別掲載も

今回で第5回目、最終回だ。

十数年経っても色あせることのない、
人生の宝物となる旅を、
来年、みんなで一緒に経験できれば幸せだ。

 

 

 

 

〔 2004年2月8日〕 感情に真摯に向き合うとき

デリー、パトナ、バイシャリ、
ラージギル、ブッダガヤ、
ベナレス、クシナガラ――。

ブッダの足跡を尋ねるインドの旅も、
もうすぐ終わりを迎えようとしてる。

インドを旅しながら、ずっと考えていた。

僕は、この僕の「感情」を、
いったいどうすればいいのだ!?

自分を見つめなおせば、
愛、憎しみ、そして時には無智でさえも、
生きるエネルギーになっている。
このことは、明らかだ。

宗教というフィールドでこの話をすると、
ひどく低次元のことを言っていると思われるかもしれない。

でも、正直に白状すれば、
この感情の問題こそが、僕の人生のメインテーマだ。

実は君も、そう思うだろう?

 

欲と感情は、人生そのものではないのか?

感情は欲だ。
それは仏教では捨てるべきものとされている。

しかし、僕は勝手に思うのだけど、
厄介なところは、
「欲=悪」には見えないことだ。

時として、感情や欲は
人生を左右し、
芸術を生み、
また、破滅へと導く。

まさに、感情こそが人生なのだ。

無感情は、鉄面皮で無感動で、
人生の砂漠のように見える。

正直僕も、修行者にそれを感じるときがある。

それを超えられるのか?

永遠に続く砂漠を、
一滴の水もとらずに
乗り越えることができるのか?

これが精進することだと思うのだが、
それはほとんど不可能だし、
実際僕は、その不可能の中に居る。

その砂漠を歩くのが嫌で嫌で、
僕は一日何百回も、振り返ってばかりいる。

超えたときの風景は、
僕にはほとんど想像不可能で、
それでいて砂嵐が舞い、
砂が口の中に入り、
砂を噛みつつ、
ただただ、ひたすら
前に前に歩かなければならない。

それも、たった一人で。

感情の赴くままに生きれば、
たった一瞬で、そこから開放される。
それは僕が、
過去に歩いてきた来た道なので想像できる。

しかし、欲の向こうには、何もない。
デットエンドだ。

その答えを知らずして、
僕の人生はない。
何の価値もない。

だから、僕にとっての仏教とは、
自己、またはカルマからの脱出なのだ。

〔 2004年2月9日〕 インド、また会おう。

インドの肥沃な大地。
農村の素朴なエネルギー。
都市の雑踏。

そして、ブッダの聖地。

悟りの報告か、
それとも、ブッダのそばで、ただ死に絶えたい願望か。

いずれにしても、次のインドの旅は、
一人で来るのだろう。

そして、必ず来る。

もし、君が一緒に来るなら、一緒に行こう。
そのときは、一人でなくなったっていい。

そして僕が
「インドが好きか?」と聞いたら、

ただ、うなずいてほしい。

 

(完)

 

ブログを読んだ方へのおススメ

2010年の八大聖地ツアーをまとめた1冊。

『ブッダの聖地』

 

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