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2018.11.12

編集部

チベット仏教の注目の若手瞑想指導者の来日

ヨンゲー・ミンギュル・リンポチェ

去る、2018年10月30日に、チベット仏教の転生活仏である、

ヨンゲー・ミンギュル・リンポチェの講演が東京・青山であった。

会場の東京ウィメンズプラザのホールは、

200人以上収容できるそうだが、ほぼ満員だった。

 

ヨンゲー・ミンギュル・リンポチェは1975年生まれで、

まだ若いが瞑想指導者として、世界各地で活躍している。

お父さんのトゥルク・ウギェン・リンポチェは

欧米にわたったチベット僧の第1世代で、

西洋人に影響を与えた人としてとても有名な方だ。

ウギェン・リンポチェの著書『Rainbow Painting』は

ヴィパッサナー系の人たちにもよく読まれたと、

以前、藤田一照さんが話していた。(『禅・チベット・東洋医学』掲載)

 

最初、私がヨンゲー・ミンギュル・リンポチェのことを知ったのは、

『禅マインド ビギナーズ・マインド』を翻訳した故・松永太郎さんからで、

チベットの若い世代の最も注目すべき人と聞いて、印象に残っていた。

松永さんには『サンガジャパンVol.3』で、

ミンギュル・リンポチェの主著” THE JOY OF LIVING“の書評を頂いている。

その後これを松永さんが翻訳した『今、ここを生きる』がパンローリングから刊行されている。

 

ヨンゲー・ミンギュル・リンポチェは小さい頃、パニック障害だったいうが、

17歳でシェラブリン瞑想僧院の指導者に任命される頃には克服されていたという。

ダライ・ラマの創設したマインド&ライフインスティチュートの中心メンバーで、

リチャード・デイヴィッドソンとの研究で瞑想中の脳の研究に参加したことで、

マインドフルネスの科学的研究の話題の中でよく紹介されている。

(「ウェブメディア「TOCANA」にも記事掲載。)

2011年6月から4年間の放浪にでて、

そのときの記事は、米国の仏教雑誌『ライオンズロア』(2016年7月15日)で記事になっている。

 

この日の講演は「今この瞬間を生きる喜び:マインドフルネス講演会」と題され、

「気づき」とはなにか、瞑想における集中について、お話しされた。

以下にその抜粋をご紹介する。

 

 

* * * * *

瞑想

ではみなさん、身体をリラックスしてください。

 

身体の感覚を感じます。

どんな感覚もただ観察します。

体をリラックス。

顔の筋肉をリラックス。

身体のどんな部分もリラックスしていきます。

 

右肩、左肩、背中、背中の上から下まで、気づいていきます。

胸。

胃。

お腹の筋肉をリラックス。

リラックスできなければそれも認めて行きます。

出来てもできなくてもあるいはわからなくてもすべて大丈夫。

右腕と左腕。

脚。

身体全体をリラックスさせます

身体をありのままにしておきリラックスさせます

心地よい感覚心地よくない感覚、

それらをそのままにしておく、コントロールしません、

特別な感覚を創りだす必要はありません。

 

することは、ただ気づくこと。

 

泣きたいなら泣いても構いません。

 

自分らしくあります。すでに解放されています。

 

他の人になる必要はありません。

ゆっくり目を開けます。

 

心をリラックスさせます。

マインドフル瞑想とは、リラックスできてもできなくても、すべて大丈夫です。

 

気づき

瞑想のエッセンスは「気づき」です。

リラックスすることや、心が平安になることが重要なのではありません。

それらは瞑想の体験であり、瞑想のエッセンスではないのです。

気づきは空(そら)のようです。

 

思考、感情、気持ち、感覚は、空の中の雲です。

風は私たちの感情のようなものです。

空(そら)の本質は、風より自由です。

空を銃で撃つことはできません。

空を爆発させることもできません。

空に絵の具で色を塗ることもできません。

空をブロックすることもできません。

気づきとはそのようなものです。

常に自由です。

常に皆さんと共にあり、常に平和です。

 

それでは、気づきとはなんでしょうか?

気づくこと「awareness」とは、

知ること「knowing」です。

 

皆さん、手を上げてください。

皆さん、手を上げていると知っていますか?

それが、気づきです。

 

皆さんが気づいているとき、その瞬間はみなさんと感情や心の間には、ある空間があります。

 

私たちは、感情に巻き込まれてしまいます。

思考に巻き込まれてしまいます。

ですが、観ることができていれば、思考や感情に巻き込まれていません。

そこには空間があります。

 

東京には川がありますね? 墨田川。

隅田川を見ているとき、隅田川に流されはいません。

隅田川を見ているなら、隅田川の外に出ているということを意味します。

隅田川に落ちて流されてしまったら、隅田川を見ることはできません。

 

隅田川を遮る必要はありません。

瞑想は何も考えないことと誤解されている方がいるかもしれませんが、それは違います。

瞑想は何も考えないことではありません。

隅田川の流れを止める必要はないのです。

 

瞑想は何かをブロックすることでも、特別な体験を作ることでもないのです。

そのままにあることです。

いかなる感覚があろうとも、そのままであり、その感覚とともにあります。

 

集中

特別な瞑想をしてみます。

 

味噌汁瞑想です。

いろんな具のお味噌汁がありますね。

味噌汁瞑想には一つルールがあります。

味噌汁を考えてはいけません。

時間は1分間です。

はじめてください。

身体をリラックスして、身体の感覚に気づいていきます。

合図をしたら、味噌汁については全く考えないようにします。

1,2,3!

はい、味噌汁について考えません。

はい。おわります。

どうですか、味噌汁を考えてしまいますね。

考えないようにすると考えてしまいます。

考えないようにするのではなく、そのままにしておくのです。

 

もう一つ、瞑想をしてみましょう。

代々木公園瞑想です。

代々木公園にピクニックに行きます。お弁当をもって、一日過ごそうと思って、代々木公園にやってきます。するとついた途端、警察官4人が現われました。

かれらはあなたに命令します。

「代々木公園から出てはいけない。一日ずっと代々木公園に居なくてはいけない。われわれが見張っているぞ」と。

あなたは4人の警官に見張られて、代々木公園にいます。

代々木公園に居たいですか? 出て行きたいですね。

最初は一日中、代々木公園に居たいと考えていました。

しかし、警察官に言われたとたんに、居たくなくなりました。

お弁当を食べても味わうことができません。

 

瞑想も同じことです。

集中しようとすると、集中できません。そしてもっと考えてしまいます。

たとえ思考が全くないという状態を得られたとしても、それでは知慧を得られません。

瞑想とはなにも遮断することはないということを意味します。

 

集中は自然と訪れてきます。

日常生活でも同じです。

 

私たちの生活の様々な問題は、二つのことで作られていきます。執著と嫌悪です。

嫌悪をすると、それ自体を作ってしまいます。

味噌汁を考えないようにすると、味噌汁を考えてしまうということです。

何かが欲しいと、それに執著します。

執著はアクセル、嫌悪はブレーキです。

 

 

* * * * *

 

西洋では瞑想に特別な状態を求めるが、求めるとえられない。

落ち着きや、平和や、あれやこれやのよいとされることなど、

それらは瞑想の状態であって、瞑想そのものではない。

瞑想そのものは、「知ること」。

 

そのことを強調されていたのが印象的でした。

とてもユーモアにあふれウィットにとんだ語り口は魅力的で、

瞑想の本質をダイレクトに受け取る、そんな時間でした。

 

 

瞑想コミュニティ、テルガル

2009年にヨンゲー・ミンギュル・リンポチェの教えを学ぶ、

テルガルという瞑想コミュニティが設立されました。

世界各地にコミュニティがあり、日本でもテルガル・ジャパンが設立され、

活動を開始しているとのこと。

この日の講演会もテルガル・ジャパンの主催でした。

テルガル・ジャパン フェイスブックページはコチラ

(編集 川島)

 

 

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