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2017.07.09

編集部

ラム・ダスをめぐる下北沢の一夜

ラム・ダス+スティーブン・レヴァイン『覚醒への糧』出版記念in気流舎(下北沢)~ラム・ダスとは誰か

ご報告が遅くなりましたが、6月23日(金)の夜に、ラム・ダスをテーマとするイベントがありました。東京は下北沢にある「気流舎」というディープな文化サロンです。
このサロンは、複数人のメンバーがネットワークをつくって運営していて、東京のサブカルチャーの拠点のひとつですね。
むかし、ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想の体験をシェアするという趣旨の会に行ったのが最初でしたけど、確かそのときに蛭川立さんを通してプラユキ・ナラテボーさんの存在を知ったのでした。なぜか蛭川さんがプラユキさんの『「気づきの瞑想」を生きる』を宣伝しまくっていのだけど、ヴィパッサナー瞑想の会だったからですね。(蛭川さんはタイで一時出家していますから、事情通なんだね)

 

★気流舎リンク(http://www.kiryuusha.com/

 

『「気づきの瞑想」を生きる』(プラユキ・ナラテボー[著]、佼成出版社)
★朝日新聞(7月9日)書評予告

とまあ、話は横道にそれそうなところを、グッと引き戻しまして、、、。
この日は、新刊『覚醒への糧』(2017年5月1日発行)の刊行を記念して開かれた。テーマは「ラム・ダスとはいったい誰なのか」といったところ。
狭い店内に集まったのは20人くらい。カウンターカルチャー、オルタナティブ社会の関係からニューエイジ、精神世界系の本がぎっしりと詰まった壁に囲まれた小さな空間は、人いきれで埋まった。

登壇したのは、本書の翻訳者である大島陽子さんと、もう一人『愛という奇蹟』の共訳者の片山邦雄氏。
片山氏は元朝日新聞の編集者であるが、ラム・ダスと出会い、人生を大きく変えた人だ。
二人はラム・ダス関連の著作を多く翻訳し、ラム・ダスの師であるニーム・カロリ・ババ(通称マハラジ)のアシュラムをたびたび訪れている。

以下、大島さんと片山氏のお話を簡単ですけどレポートします。

* * * * * *

ラム・ダスとは誰か

『Be Here Now』というマイルストーン

ラム・ダスの代表作『Be Here Now』は、1967年のサンフランシスコで行なわれた時代を画したイベント「Human Be-in(ヒューマン・ビー・イン)」から3年あまりのあいだに、ラム・ダスを中心にしたサークルで語られていたことを中心にして、生まれました。

★beinリンク

 

『Be Here Now』の影響はすさまじく、よく知られた話としてはスティーブ・ジョブズが大学を退学して、アップルの創業前にマハラジのアシュラムを訪ねています。そのときすでにマハラジは亡くなっていたのですが、このとき寺院にいた仲間とアップルを立ち上げました。
そのほかにもIT関連で言えば、グーグルのラリーページやフェイスブックのマークザッカーバーグはラム・ダスからアドヴァイスを受けてマハラジのアシュラムを訪ねています。
皆、ラム・ダスを通して、マハラジに至っています。ラム・ダス自身は決してグルになろうとしなかったのです。彼は紹介者に徹しました。
ザッカーバーグのアシュラム訪問を伝えるワシントンポスト記事(2015年10月31日)

ラム・ダスの軌跡

ラム・ダス(本名リチャード・アルパート)は1960年代初頭、ハーバード大学心理学教授として、当時は合法だったLSDの研究を同僚のティモシー・リアリーらとはじめます。しかし大学当局との折り合いがつかなくなり、二人は大学を追われます。その後も精神的な探求を続けたラム・ダスは、アメリカでは自身の経験を追求できないとしてインドに向かいます。1967年から70年代にかけてのことです。

彼はマハラジと出会う前後に多くの聖者と会っています。たとえば日本でも一時一世を風靡したサイババにも会いました。サイババは頼みもしないのに手のひらで何か金属を物質化したそうです。ラム・ダスはそこに何の意味も見出さなかった。

紆余曲折、なかなかドラマティックな経緯があり、ラム・ダスはマハラジことニーム・カロリ・ババに出会います。ラム・ダスにとってマハラジは愛そのものでした。そこからバクティヨーガ(献身のヨーガ)が始まるのです。

帰国後、仲間と共に『Be Here Now』を制作しました。出版されたのは1971年です。

アシュラムの生活

私たちもマハラジのアシュラムに行きました。そこでは、何をしているのかと聞かれますが、実は特に何もしていないのです。
朝晩に1時間半ほどのアラティ(光の儀式)と呼ばれる神々への詠唱が行なわれるほかは、決まったスケジュールはありません。また瞑想するスペースはそこここにあるのですが、瞑想メソッドがあるのでもない。ただそこにマハラジのプレゼンス(存在、気配)を感じるのです。そして、生前であればマハラジとの対話がありました。現在では「マザー」と呼ばれる女性との対話があります。
アシュラムは一箇所ではなく、インド中に何箇所もあります。毎年6月15日に行なわれるケンチアシュラムの祝祭にはインド内外、西洋からも多くの信者が訪れます。今年は250万人が集まったと発表されましたが、これはインド的な数字で、実際はわかりません。しかしそれだけの人が、世界中から集まるのです。

覚醒への糧

今回翻訳した『覚醒への糧』は私(大島)が、10年前から翻訳を温めていました。
時代的な背景もあり、ラム・ダスはサイケデリックドラッグによって大きな体験をするわけですが、その後、実人生において本当の旅、本当の修行が始まるということを、自らの体験を例に、時に赤裸々に、時に理詰めでラム・ダスは語っています。この本には、人生のあらゆる局面を糧とする方法が述べられています。
初版の刊行は1976年ですけど、2013年に大幅に改訂されています。旧版を訳していたので、2013年のリヴァイズ版でかなり変わっているのがわかり、その後の翻訳作業は大変でしたが、改訂によって内容がより理解しやすいものになっていると思います。

 

『覚醒への糧』

 

現在のラム・ダス

ラム・ダスは1997年に脳卒中で倒れます。その後の経緯はドキュメンタリー映画『RAM DASS FIERCE GRACE』としてまとめられ、2001年に公開されています。(日本未公開)

『RAM DASS FIERCE GRACE』(ラム・ダス 過酷な恩寵)

グルクリパという言葉があります。意味はグルの恩寵です。
恩寵とは、執着を完全に手放すことである、とラム・ダスは言います。

倒れて以降、ラム・ダスは意識を3つに分けています。以前はもっと細かく分けていましたが、たとえば『覚醒への糧』では6つのチャンネルの説明がありますが、脳卒中以降シンプルになりました。

1.自我
2.SOUL、魂、観察者、Witness、見てる意識の次元
3.God、悟り、涅槃

非常にシンプルですが、普遍的です。

現在は86歳で、ハワイで活動しています。本人は話す言葉は少なくなっていますが、リトリートにはコーンフィールドやジョアン・ハリファックスなど、今マインドフルネスで活躍する第一線のティーチャーが参加して、盛況です。

ラム・ダスはグリーフケアのジャンルで、注目されています。これからはそうした文脈でも、注目されていくとよいと思います。

本書翻訳者の大島陽子さん

ラム・ダス翻訳者の 片山邦雄さん

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この日を最後に、このイベントを企画してくれた気流舎のハーポ部長(しかし何と言う名前だ)は南米へと旅立っていったのでした。お元気で……。(10月の帰国報告楽しみにしています)とまれ、40年の時間を繋ぎつつ、下北沢の一夜は更けていくのでありました。

追記

当日参加していた、作家のゴルゴ内藤氏によるレポートがアップされているので、ぜひご一読を! このブログには触れなかった情報が満載です。
[レポート] ラム・ダスとは??『ビー・ヒア・ナウ』と60年代対抗文化・ニューエイジ運動への足跡‐‐

 

(編集 川島)