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2019.04.12

社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)

出家の覚悟

日本のお寺は大丈夫か?

僕は昔からお寺が好きだった。

夜、お寺の参道に座って、
飽きもせずに、しみじみと見ていたものだ。

しかし、いま振り返ってみると、
それは僕の幻想だった。

たしかに、日本の寺院にも、素晴らしいお寺は存在するとは思う。
たとえば、
禅マインド ビギナーズ・マインド』を著した
鈴木俊隆老師を生んだ静岡県焼津にある林叟院など。

僕は、そのお寺の中に入って、その姿に触れてみたとき、
ここが素晴らしいお寺なのか、かたちだけなのか、すぐ分かる

しかし、今、大乗仏教の寺院の
質の低下ははなはだしいと思う。

去年、僕の母が亡くなったときに、
僕が檀家になっているお寺は、
戒名料の最低価格を、向こうから先に言ってきた。
また、墓地の獲得ばかりに精を出すお寺もある。

そして何よりも、修行をしているお寺の少なさ。
僕が若い頃、大阪で勤めていたとき、
坐禅をしているお寺を探してみたのだが、
けっきょく近畿圏でも、
毎日坐禅を組んでいるお寺はたったひとつだけだった。
それも京都だけだった。

坐禅をしたかった僕は、京都にかよった。

100日間、続けることを決心し、
1日も休まず通った。

 

日本にあふれる「出家」の話題

最近、「出家」という言葉が熱くなっていると思う。

日本テーラワーダ仏教協会の「一時出家修道会」。

そして、仏教関係者をおどろかせた、
小池龍之介さんの解脱失敗の話。

佐藤由樹が書いた
解脱失敗とその懺悔――小池龍之介さんからの電話
というブログは、1ヶ月弱で約2万人が閲覧した。

その感想は、
「素直でよろしい」とか「正直だ」とか、
同情的なものが多かったように思えるが、
僕は正直、小池さんは仏教徒として失格だと思う。

解脱するなら、誰にも黙って消えればいい。
そして解脱したなら、
やはり誰にも黙っていればいいと思う。

 

出家をしようかどうか、迷う人たち

最近出家について相談を受けた。
そのとき、Iさんは、
僕の「出家するなら、もう迷うことのないようにしなければならない」
という言葉が、納得できなかったらしい。

しかし、由樹がかいた小池龍之介さんについてのブログを読んだ彼は、
そのとき、僕の言葉が理解できたと言っていた。

3月にサンガ文庫として刊行した
スマナサーラ長老と南直哉先生の対談書
『出家の覚悟』には、以下の一説がある。

 

南 人が仕事をするということを考えるとき、一番しなくてはいけないのは、自分に何
が向いているかではなくて、何をすれば人の役に立つのかということです。それを先に
考えるのが仕事なのです。趣味ではないのだから。
スマナサーラ そのとおりです。
(サンガ文庫『出家の覚悟』 218ページ)

 

また、南先生は、日本では有名な『平家物語』の一節
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
とうう言葉をみて、出家を決めたという。
(サンガ文庫『出家の覚悟』 24ページ)

「覚悟」というかぎり、
それは決心なのだから、後戻りはできない。

そして南さんは今でも立派な禅僧である。
また南さんは、言葉にとてもこだわる人だと思う。

 

言葉が真に意味すること

僕が前から気になっていたのは、言葉と心の関係性である。
サンガ文庫『仏教の言説戦略』の著者である橋爪大三郎先生に、
あるときこのことを聞いてみた。

僕の質問は、こうだ。
たとえば「恋」という言葉が使われると、心が踊る。
「嫌い」という言葉が使われると、心が暗くなる。

言葉はただの表記なだけなのに、
なぜ心に影響するのか、ということが疑問だった。

それに対して橋爪先生は、こう答えてくれた。
「ずっと前からその言葉は、潜在意識の中に入っていて、それが反応するんですよ」

僕はその答えに、すごく合点がいった。

また、先日のスマナサーラ長老と熊野宏昭先生の
サンガくらぶでも、お二人は言葉の重要性について語っていた。
そのときも僕は、橋爪先生の答えを思い出し、本当にそうだなと思った

日本の慣用句の中に、
「心にもないことを言う」というものあるが、
まさにその通りだ。
心にもないことを言うのは、
まさにスマナサーラ長老の言う、「無駄話」なのである。

「出家の覚悟」という言葉は、
その他に意味はない。
誰の口から出たとしても、
その言葉が表すこと意外、存在していない。

先日もテーラワーダの女性が大乗仏教で出家したが、
やめてテーラワーダに戻ってくるという。

一旦出家したら、価値判断をするのは、自分ではなく、その教えにあるのだ。
「出家の覚悟」は、そのまま「出家の覚悟」であり、
けっして後戻りはできないんだ。