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2018.02.13

社長ブログ

瞑想合宿を終えて

瞑想合宿最終日、キリタラマヤ寺院の正門前で記念撮影

 

スリランカでの瞑想合宿は、あっという間に終わった。
――と言いたいところだが、実際はそうでもなかった。

暑い。暑い。あついーーー!
一昨年もやったはずだが、こんなに暑かったろうか。

まわりの人からは、
「年取ったのよ! 無常だからね」
と生意気を言われるが、暑いものは暑い。

瞑想合宿のプログラムは日本と同じだが、
日本のように、張り紙を黒板に貼り出すような「沈黙行」はない。
決して悪気があって言っているのではないが……。
つまり言いたいことは、「日本の瞑想会は規則が多い」ということだ。

 

瞑想実践をする講堂にて

 

スリランカは暑い。
スリランカは虫が多い。
これはけっこう邪魔だ。

日本は、それに比べると素晴らしく快適だ。

スマナサーラ長老も法話で、
「日本は瞑想する環境がないから、
いざ瞑想するとなると、会場やら、近所の環境やら、何やらと大変だが、
スリランカは基本的にはお寺が瞑想道場なので、そのまま使える」
と言っていた。
まさにそうだと思う。

最近、日本では「マインドフルネス」というかたちで
瞑想を身近に感じられるようになってはいるものの、
それとはまったく次元の違う話である。

しかし、共通点もある。
「瞑想をすれば、どっちだって気持ちがいい」ということだ。
それは、それぞれにある、仏教徒としてのマインドによるものだろう。

今回も長老から法話をいただいた。
法話のポイントは、次の3つだ。

①日常生活はすべてがヴィパッサナーに成り得る。
②「目的」は消去して、「過程」を大事にせよ。
③ただし、ヴィッパサナーは開始時に「決意」が必要だ。そして、それからは「過程」である。

長老のお寺において欠かせないのが、長老と動物たちである。
「生きとし生けるものが、すべて平等だ」と本当に自覚できれば、
彼らと波長が合って、心が通じるらしい。

 

また、この瞑想合宿は、スリランカ人たちの
献身的な、惜しみない努力によって成り立っている。
彼らの慈悲を全身に感じた3日間でもあった。

今回、特に印象深かったのは、スリランカ人から感じる「素直さ」だ。
Billy JoelのHonestyで歌われているように、
「素直さ」という言葉は日常ではあまり聞かないけれど、
彼らの持つ素直さの波長を感じると、
今、僕が持つ悩み苦しみは、ほとんど意味のないものに感じてしまう。

「素直さ」は、それだけ強い力があるものなんだ。