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2017.11.10

編集部

第 38 回 サンガくらぶ 「ブッダの聖地を学んでみよう」レポート。

10月25日 (水) のサンガくらぶでは、ブッダの聖地について学術と実践の両面から捉える、という意欲的な試みが行われました。

 

歴史のなかの 8 大聖地

まず歴史学者である中村龍海氏に、紀元前 3 世紀に仏教を保護したアショーカ王による大塔建立、玄奘 (602-664) が記録した「大唐西域記」 を元に、英領期に当たる 19 世紀末にカニンガムらの考古学的調査を経て遺跡が発見され、仏跡と特定された歴史的経緯を辿っていただきました。

1. ブッダ生誕の地 ルンビニー
2. 成道の地 ブッダガヤー
3. 初転法輪の地 サールナート
4. 竹林精舎の地 ラージャガハ (ラジギール)
5. 祇園精舎の地 サヘート・マヘート
6. 昇天の地 サンカッサ
7. 入滅決意の地 ヴェーサーリ
8. 般涅槃 / 入滅の地 クシナーラー

上記 8 大仏跡の概要を、画像や玄奘の「大唐西域記」からの引用をもとに、丁寧な解説がなされました。

 

仏教にとって の 8 大聖地

続いてスマナサーラ長老より、仏教徒の視点から8大聖地についてお話がありました。長老のお話は、仏教が宗教を語っているわけではなく、あくまでも清らかな心で生きる教えである、という点に立脚しておられます。そして、聖地が固定化すると身動きが取れなくなる点を挙げ、 仏舎利 (聖者の骨) のあるところが聖地になる、というportability (携帯性、可搬性) を仏教聖地の特徴として説かれました。

後半では、仏教にとって 8 大仏跡とは何か? という問題に踏み込まれ、それは教えある限りお釈迦様が生きているという事実、そしてその存在・仏跡のパワーを感じること、であると示されました 。

中村氏も解説の中で触れられていた、仏教聖地管理にまつわるヒンドゥー教徒からの奪還運動に関連づけ、他の特定の宗教に見られるような参拝者が制限されるような聖地とは異なり、仏教聖地が開かれた場所であり、自由を感じる場であることも述べられました。そしてとりわけ最大の聖地ブッダガヤーの大菩提寺の菩提樹が、人類の平等・平和が現れたところ、人間が平等であることを確認する象徴であり、かの地では宗教は不問であることを強調されました。

 

質疑応答

質疑応答では、中村龍海氏のお名前 (佐々井秀嶺氏より命名された法名)、アショーカ王の出自、将来仏像阿弥陀仏 (コルカタ大菩薩会)、仏典で語られている、四大仏跡を訪ねる資格のある「良家」の定義、等活発な質疑が繰り返され、盛況のうちに幕を閉じました。
「聖地」をめぐっては、社会学・宗教学的文脈における定義、「聖地」に向けられる「まなざし」を通じた生成過程、「聖地」のあり方、など多様な学術的解釈が可能でしょう。ともすると、一大観光地とも言い換え可能な聖地は、「巡礼経験」そのもの、そこに赴いたという事実のみが前面化されることもあるでしょう。しかし、今回長老が主張されたのは、聖地をめぐる思考を主とする、諸々の学問的探索ではありません。それは、お釈迦様の清らかな波長を味わうこと、身体全体で受け取ること、お釈迦様の聖地を肌で感じる、という生きた感覚を総動員させ、その場とつながることであった気がします。聖地を介して自分にとってお釈迦様とはどんな存在であるか、原点に立ち返ることの大切さを強く意識させられたひとときでした。

 

スマナサーラ長老による、弊社の既刊書籍『ブッダの聖地』からの抜粋「ブッダの聖地_01_prologue」もこちらから併せてお読みください。

(編集部)