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2017.07.28

社長ブログ

鎌倉02

坐るのが好きなんだ

好きというより、ほとんど病に近い。それがなぜかと深く考えたことはない。

7歳の時に、父親に「皎林寺(こうりんじ。母の実家の寺)」に連れていかれて以来、自分にはたぶんこの道なんだろうと思っていた。

大学時代から、またこの病が始まった。坐らないとどうしても駄目だ、居ても立ってもいられない。

当時、坐禅をするのは変わり者か、精神的におかしいと思われていたから、公然と坐っているなんて他人には言えない。

一日一坐、できたらどこかの寺がいい。でも、なかなか毎日坐っている寺がない。

 

大学は福島だったので、「好国寺(こうこくじ)」を見つけてそこに通った。

朝5時から7時ぐらいまで、たまには友達も連れていった。

今思うとさぞかしいやだったろうと思うけど、自転車で30分ぐらいのところ。

別に人格を育てたいからとか、悟りを求めていたわけではない。

ただ病から逃れるための毎日が始まった。

 

「渓声禅堂」のこと

時間はずっと飛ぶけれど、臨済の公案をやめた僕は、父親とその友人に紹介された「渓声(けいせい)禅堂」に行くことにした。

ここは四万十川の源流近くのすごいところにある。

禅堂周りは遠くにしか家がなく、畑には牛の頭蓋骨が転がっている。

裏手には森がある。ここの摂心に参加した。

たぶん6~7人が参加していて、白人が半分くらい、他は日本人だったと思う。

基本、朝5時から夜10時頃まで坐る。曹洞禅なので公案がない、これが僕には新鮮だった。

公案を作る必要がないので気楽だし、好きなだけ坐れて病も収まる。

 

休憩時間に、ドイツから来たというIBM社員の男が、自分から何度も頭を木にぶつけていた。

やはりみんな悩んでいるんだ。人間はそうそう変わらない。

摂心は4泊5日で、表には出てこないのに完全に取り仕切っていたのが、山下良道さんだった。

時間の管理、食事の支度(典座)、掃除などのほとんどを一人でやっていたように思う。

それでいて、それは見事に調和していた。

 

長老との出会い

また参加しようと仙台から電話すると、こう言われた。

「ミャンマーに修行に行くから、しばらく休む。でも、東京にスマナサーラ長老がやっている瞑想会があるから、行ってみるといい」

僕にとっては、「瞑想会」「スマナサーラ」「長老」、どれも遠くにある言葉だった。

東京のどこかの公民館でやっていた「瞑想会」は、僕にとってまさに異世界。

服装は普段着、経行(きんひん)のかわりに歩く瞑想をする。

数息観のかわりにヴィパッサナー瞑想というものをする。

でも、僕の病はそれで収まっているようだった。

 

休憩時間にベンチに座っていると、後ろにも誰かが座っている。

見るとスマナサーラ長老がベンチに横になっていた。

ニコニコしながら長老は聞いた。

「どこから来たの?」「仙台です」

それで僕は決めた。もう彷徨うのはやめよう、この人だ。