仏教と科学が発見した「幸せの法則」
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商品コード: 301020
発売日:2017年10月20日予定
著者:アルボムッレ・スマナサーラ×前野隆司
ISBN:9784865641028 C0095
四六判ソフトカバー
2500年前の「ブッダの教え」と
最新の「幸福学の研究」が、
「幸せになる」というゴールへ、
重なり合いながら突き進む――
生き方をダイナミックに変える白熱対談!
■茂木健一郎 氏 推薦!
■池谷裕二 氏 推薦!
幸福についての議論は、時に表面的なものになりがちだ。ロボット工学、意識の科学、幸福学の知見が、仏教の思想、実践、伝統と響き合う本書は、深い本質の部分での「幸福論」を提供している。知的好奇心と感情の両方が満足する、稀有な本である。
茂木健一郎
「私」の実存を否定することでヒトは幸せになる――。本書ではそんな火の玉のように熱い議論が、しかし静謐に展開されます。そして、読み終えた私の中に新しい自分像が芽生え、なぜか不思議と安堵するのです。
池谷裕二
まえがき 前野隆司
プロローグ
- システムデザイン・マネジメントとは何か?
- 科学から見た心と私
第1章 仏教の原点をめぐって
- ブッダの教えは純粋に科学的
- 思考を変える難しさ
- 実証科学としての仏教
- 経典を翻訳する難しさ
- 輪廻
- 悟りについて
- 慈悲の瞑想
第2章 心とは何か
- 受動意識仮説
- 仏教から見た心と私
- 私は幻覚である
- 死んだほうがいいのか?
- デカルトと受動意識仮説
- 脳が心を作るのか?
- 心はエネルギーなのか?
- 猫の心
- 言葉はなくても概念で通じ合える
- 進化と心
- 人間の複雑なエピソード記憶
- エピソードではなく、時系列で記憶する
- 感情が記憶を色付けする
- クオリアとは「そう感じる」こと
- ロボット研究の現状
- クオリアは幻想である
- ロボットと人間の違い
- 「私」を実感する場所
- 心のエネルギーを実感する
- 学問統合の必要性
第3章 幸せになるための四つの因子
- 四つの因子とは何か?
- 四つの因子の関連性
- 第一因子:自己実現と成長(やってみよう因子)
- 幸せはプロセスそのものにある
- 第二因子:つながりと感謝(ありがとう因子)
- 第三因子:前向きと楽観(なんとかなる因子)
- なんとかなるように努力する
- 楽観はポジティブシンキングとは違う
- 苦は悲観ではない
- 虚無主義と無我の違い
- 第四因子:独立と自分らしさ(ありのままに因子)
- 自分には何ができるのか
- 未練の仕組み
- あなたらしく
- 業のエネルギー
質問コーナー
- Q&A① ニヒルと受動意識仮説
- Q&A② 自我と家族愛
- Q&A③ 痛みの主体は誰なのか?
第4章 仏教は心の精密科学
- 幸せを探し続けるのは、幸せが手に入らないから
- どのようにしてブッダは真理にたどり着いたのか
- 「生きる」とは、何かを探し続けること
- 仏教には仮説も結論も必要ない
- 真理に挑戦する
- 仏教は「精密に科学的」である
- 先入観や伝統は捨てる
- 女性優先のテーラワーダ仏教国
- 幸せの男女差
第5章 正しく幸せを目指す
- マインドフルネス
- 再び悟りについて
- インド人と0と無我
- 体に注目するのは簡単である
- 「悟りたい」は幻想
- 死ぬのが怖い
- 世界平和を作るには
- 間違ったOSの正体
- 慈悲喜捨のエネルギー
- いますぐここで、幸せになる
- 引きこもりは危険
- 「過去に戻れ」は脳の欠陥
質問コーナー
- Q&A④ 感動と共感
- Q&A⑤ 悟りの境地に近い人の興味関心
- Q&A⑥ お寿司を選ぶのは誰?
第6章 教育と幸福学
- 幸せを科学する
- 幸福学を伝えていく
- 日本に欠けている「生き方」の教育
- 企業経営に幸福学を取り入れる
- ストレスの正しい使い道
- 幸福学を取り入れた企業事例
- 人に役立つ商品作り
- 教育と幸福学
- アクティブラーニング
- 幸せの教育する
- 年を取るほど幸せになる社会
- 幸せな老後
あとがき アルボムッレ・スマナサーラ
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2018/01/17 パイクさん ★★★★★
幸福は相対か、絶対か幸福学という概念があるのをはじめて知ったが、脳科学とも連関があるようだ。そもそも幸福というのは、差異によって生じるのか、あるいあ絶対性のものであるのか、わからないところであるが、仏教はその絶対の価値を涅槃においているであろうから、幸福という価値を仏教の視座から照射して、思索のヒントを与えてくれえるのではないだろうかと期待するところである。未読であるが、大いに期待したい。
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2018/01/17 anandaさん ★★★★★
初期仏教、幸福学、インタラクション本書のひとつのキーワードはインタラクションではないかと思う。ブッダの教えと最先端の科学ー「幸福」という目的地にむかって両者の世界観がとりこぼしなく語られる。一読者である「わたし」や「あなた」にも引き起こされるインタラクションの連鎖。「素晴らしい宇宙のインタラクションの一部」に組みこまれる歓びをひとりでも多くの方に知ってほしい。
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2018/01/17 ファイアーふぉっ〇すさん ★★★★★
深いロボットと人間の違いに言及している、箇所が特に興味深かった。質問コーナーなどもあり、ボリュームのある本だとおもいます。
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2018/01/17 わさびせんべいさん ★★★★★
すがすがしい読後感!スマナサーラ長老の対談書はいろいろ読んできましたが、読み終わった後の爽快感はピカイチだと思いました。前野先生が長老からかけられた言葉に、子供のように素直に喜んでいるところもかわいらしいです!
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2018/01/17 ヘタリアさん ★★★★★
高レベルすごい高レベルの内容でしたので感動しました…理解するのには何回も読まないと…わかったことは自我など無くて自分はすでに死んでいるということです 俗世間の低レベルな話題に飽きたならこれ読みましょう
(amazon カスタマーレビューより引用) -
2018/01/17 遺跡の猫さん ★★★★★
すでに死んでいる私たちへのエール釈尊の時代、999人を殺戮し、1000人目の獲物を探し求める男がいた。
彼は釈尊の姿を認め、必死に後を追うがどうしても追いつけない。
「彼は、お釈迦さまを追いかけながら、『沙門、止まりなさい』と言いました。
するとお釈迦さまは、『君こそ止まりなさい、私はすでに止まっているのだから』と言ったのです。」
(アルボムッレ・スマナサーラ長老『心は病気』より)
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誰しも幸せな人生を願っているはずなのに、幸せを実感できる人はとても限られている。
その原因を解き明かし、幸せを実現する方法を人々に説く2つの道、仏教と幸福学のエキスパートであるお二人が対談した本です。
もともとロボットの研究者であった前野氏は、ロボットの心を作ろうとしているうち、心の研究に取り組まれるようになったそうです。
その結果、なんと「心は幻想、あるいは錯覚ではないか」という結論に達し、「受動意識仮説」を提唱するに至りました。
それは、私たちがあると思っている自由意志は錯覚に過ぎず、人間は、ただ無意識にコントロールされながら生きているだけのロボットのような存在であることを示唆しています。
『北斗の拳』の決めゼリフ「お前はすでに死んでいる」のように。
これだけでも充分驚きますが、この結論に達した前野氏に対するスマナサーラ長老の評価も衝撃的です。
覚りの境地を尊ぶ仏教徒の中には、お尻に火を点けられたような気持ちになる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
前野氏に、「自由意志は存在する」という先入観があったら、受動意識仮説は成立しなかったと長老は言います。
そのように、もしかすると「仏教は宗教である」という先入観があるかぎり、お釈迦さまの発見した真理に至ることはできないのではと、ふと思いました。
冒頭に挙げた殺人者ほどではないにせよ、至福の境地に憧れても、なかなか正しい道が見つけられない私たち。
「フォーカシングイリュージョン」という研究では、人と比べられる金・物・地位といった地位財で幸せになろうとしても長続きしないと説き、幸せを探し求める焦点のズレを修正すれば、長続きする幸せが得られると勧めています。
人類史の中でも、間違ったモノの見方が次々と修正され、真実へと近づいてきたように思います。
天動説は地動説へ、古典力学は相対性理論、そして量子力学へ。
物質世界で改革を起こしてきた科学が、「幸福」を手がかりとして、ついに心の世界へ踏み込んできたのかと思うとワクワクします!
(Amazon カスタマーレビューより引用) -
2018/01/17 シェフ・カリタさん ★★★★★
スナマサーラ氏の聡明さに驚いた科学者 前野氏の数々の質問に対して、スナマサーラの答えが全て一貫している。
神を信仰する宗教自体を否定しているスタンスなど、もちろん誰もが納得できる話では無いだろう。しかし大変勉強されている方であり、個人的には仏教についてこれほど腹落ちした著書はなかった。(自分の勉強不足もあるだろうが。。)
ただ、対談形式であるために構成が必ずしも読みやすくはない。
仏教の本質である部分が第4章から簡潔に語られるので、その辺りの配慮などあればもっと入り易いのでは、と感じた。
(Amazon カスタマーレビューより引用) -
2018/01/17 Bddhistさん ★★★★★
本格的に科学者が幸福に向き合う時代前野隆と言う幸福学なるものを研究している学者が初期仏教のスマナサーラ長老と向き合う。長老がよく言う”仏教は宗教ではなく科学である”を証明している展開である。二人の波長が良く合っていて小気味いい。
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