サラナ サラナ

 

じんくみ 
右足の違和感ーー私の病気とマインドフルネスその1
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右足と左足の温度が違う

2019年の9月半ばを過ぎたある日。家に帰って、シャワーを浴びると何かがおかしいことに気がついた。右足と左足の感じ方が違うのだ。蛇口をひねって水がお湯になるのを待っている間に、温度を確かめるために足にシャワーを当てる。その時の右と左の温度が違う。右足は熱いと感じているのに、左足は冷たいと感じている。手で水を触ってみるとそれは水だった。

 

自分の右足が熱くなっているのかもと思って触ってみても、熱くはない。ただ、水をお湯と感じる。これはなんだろう、と思いながらも、どこかに痛みを感じているわけではなかったので、大したことはないだろう、明日になったら治っているだろうと思って眠った。

 

でも、次の日も、その次の日にも同じだった。やっぱりどこも痛くはない。「これはなんだか自分の身体の気の流れでもおかしくなっているのか?」と考えて逆立ちをしてみたけれど、足の症状は変わらなかった。職場には変わらず通って同じような日々を過ごしていた。1週間たっても症状が変わらない。というか、触った時の感覚が麻酔の切れかけのような感覚が鈍い感じもするようになった。お医者さんである友人と電話をしていて話のついでに「そういえばこんなことがあるのだけれど…」と話したところ「それは神経内科だね」と言われて、まあ念のため病院に行ってみるかと近場の神経内科に翌日の朝に行った。午前中だけ年休にして午後には仕事に行くつもりで。

 

近くの病院へ

そこは近場の小さな病院だったけれど、新しく小ぎれいでMRIを撮れる病院だった。一通り爪楊枝で刺されたり振動する棒を当てられたりした後で「とりあえずMRI撮って確認してみましょうね」と言われて人生初のMRI撮影をする。横になって1時間近くリズミカルな音と振動の中で動かないでいる。「まるでサンバのリズムみたいだなぁ…」と思いながらウトウトしていると終了する。きっと大したことはないし「まあ、大丈夫ですね。大したことはありません。しばらく様子を見ていれば治まりますよ」と聞かされるのだろうと楽観的な予想をしてMRI撮影を終えた。

 

再び診察になって、そのMRI写真を見せてもらった。自分の頭の断面を見ていく。縦に切った映像と、横に切った映像。「脊髄に炎症がありますね」と言われる。脊髄の中の黒いはずの部分が一部、白くなっている。首のあたりの脊髄の中の左側の部分。「神経で実際に動かすところと逆になっていて、左側で炎症が起こると右に影響がでるんです。あなたの場合右足に異変が起こっていて、左側に炎症が起こっているので、これが原因でしょうね。」と言われる。さらに「すぐに大きな病院に行ってください。今日はまだ午前中だから今からでも受け付けてくれると思うので、すぐに紹介状を書きますからすぐに行ってください。」と言われる。

 

大きな病院へ

すぐに大きな病院にいかなくてはいけない?全然予想もしていないことだった。職場に電話をかけて「すみません、診てもらった病院ですぐに大きい病院に行ってくださいと言うので、今日はやっぱり1日年休にさせてください」と言う。その病院の受付の女性が会計を終えると「タクシーを呼びましょうか?」と言われる。どれぐらい遠いのか分からないけれど、電車とバスで行くとそんなに簡単には行けなさそうだったので「お願いします」と言う。家に電話して母親に「脊髄に炎症があって、すぐに大きな病院に行きなさいって言われた」と報告する。

 

タクシーに乗って病院へと向かっている途中で色んなことが頭を巡る。大きな病院に今すぐに行かなくてはいけないというのはどういうことなのだろう。もしかして、すごく深刻な病気である可能性があるのだろうか。命にかかわるような病気であるという可能性もあるのだろうか。自分の余命が何年と言われるようなことがあるのだろうか。母はどんなに心配して心を痛めるだろうか。そんなことをぐるぐる考えていたら自分が知らずに泣いていることに気がつく。

 

私の中にある怖れ

私は怖いのだ。どうしたらいいか分からずに困っていて、混乱している。そんな自分に気がつく。そして、微笑む。怖がっている自分に微笑む。「私は今、怖いんだね。いいよ。そこに一緒にいるから、大丈夫だよ。」と自分の怖れに語りかけて呼吸を共にする。思考をふくらませて怖れを拡大させていかないように、呼吸に意識を向けてどんな気持ちに対しても「オッケー」と微笑む。第一の矢(病気)は受けても第二の矢(それに対するネガティブな思考)は受けないように注意を払う。しばらくタクシーの中でただ呼吸をしていた。入ってくる息、出ていく息にただ意識を向ける。息が入って、息が出ていく。ただ呼吸と一緒にいる。

 

そうやってしばらくしているとちょっと落ち着いてきた。すべてに「オッケー」と言おうと思う。怖れにも、不安にも、自分の人生で自分が望まないことが起こるかもしれないことにも。そうやって、プラクティスしてきたじゃないか、と思い出す。そうやって自分はプラムビレッジに受け入れてもらったんじゃないか、と思い出す。

 

私がプラムヴィレッジタイランドに2015年の年末に行った時に心を打たれたのは、自分自身が丸ごと受け入れられている、と感じたからだった。何の条件もなく、私が何かができるからとか、良い人間だからとかではなく、ただそこにいるありのままの自分を丸ごと受け止められたと感じたから、だから私はプラムヴィレッジに心を打たれたんじゃないか、と思い出す。それは「良い/悪い」を超えた世界だった。

 

だから、プラクティスをしてきた。どんなものにも微笑むプラクティスを。自分にとって都合が良くても悪くても、自分として受け入れるプラクティスを。自分が受け入れられたように。私は、プラムビレッジに受け入れてもらったのだから、私もそれを実践したいと思った。「これは受け入れたいけど、これは受け入れたくない」と差別をしないですべてに微笑みかけて共にいること。

 

それは、自分の怒りだったり、怖れだったり、自分の計画通りにものごとが進んでいかないことへの苛立ちに対してだったり。自分の気持ちに気づいて、微笑むプラクティスをしてきた。

 

プラムヴィレッジでのプラクティスを携えて

病気はどんなものなのかまだ分からない。もしかしたら深刻なのかもしれない。もしかしたら命に関わるような病気なのかもしれない。私にとって望まないようなことを言われるのかもしれない。それでも、それに微笑もう、と思う。それが何であっても微笑んで受け入れること。結果を望むことを手放すこと。もし、それが、命に関わるような病気で、私の命がごく限られたものであったとしたら、死が迫っているからこそ語れる言葉を語ろう、と思う。病気になったら、病気になったからこそできることをしたらいい。元気な時にはなかった、特別な力を持つ言葉が、命に関わる病気になったらきっと紡ぎだせるはずだ、と考える。命が長く持たないだろうと言われたら、その日まで幸せに生きればいいんだ、と考える。自分の気持ちが大分楽になっていることに気がつく。日々の中でプラクティスをしてきたことは、ちゃんと、困った時にも助けになってくれるんだなぁ、と実感する。

 

タクシーで20分ほど走ると、近くの大学病院に到着した。受付で紹介状を渡す。しばらくすると母親が来た。心配して自宅から病院にやってきたのだ。その時には、大分私も落ち着いていたけれど、母親に心配をかけて悪いなぁという気持ちはやっぱりあった。家族はお互いに関わり合う相互存在だから、私に何かあれば母親も影響を受けるし、母親が私の病気のことで苦しめば、私も苦しくなる。そんな気持ちに気がついて、ただ申し訳なく思う代わりに「私たちは深く関わり合って存在しているんだなぁ。私の中に怖れがあったように、お母さんの中にも怖れがある。その怖れと共にいて、私のことを我がことのように考えて心配してくれる人がここにいることに感謝してただ今は一緒にいよう」と心にして、呼吸に意識を向けて自分がそこに母と「一緒にいる」ことを心がけて診察の時間を待っていた。

 

診察に行くと、大学病院のお医者さんが触診をして前の病院でのMRIの検査結果を見て「ここに病変があるんですね。これは検査入院が必要ですね」と言われる。検査入院?「どれぐらいの期間かかるんですか?」と聞いたところ、「少なくとも10日はかかりますね。」と言われる。そのお医者さんが病院のベッドがいつから空いているのか確認の電話を入れると、その翌々日が空いているという。「すぐに入れてよかったですね」と言われる。それが良いことなのかも分からないまま、その2日後に入院することになった。

 

そして結局その2日後から16日間入院することになった。それはその日の朝には思ってもみなかったことだった。(つづきます)

 

「私の病とマインドフルネスその2」は【コチラ】

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