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川本佳苗『〈連載〉ぶぶ漬けどうどすか?』 
新進気鋭の仏教学者 川本佳苗こと、元・サヤレー・スナンダの 「ぶぶ漬けどうどすか?」――第4回「あの人は、今どこに」
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新進気鋭の仏教学者 川本佳苗こと、元・サヤレー・スナンダの

「ぶぶ漬けどうどすか?」

第4回「あの人は、今どこに」

 

 こんにちは、法名スナンダこと川本佳苗です。あうー、月イチ連載したかったのに遅筆で申し訳ありません!

 実は4月から私も大学の先生デビューしました。もう高学歴ワーキングプア人生まっしぐらなんですけど、授業の準備で夏まで過労でした。でも7月にオランダのライデン大学で大きな国際学会に参加したり、8月は1ヶ月間、ミャンマーでフィールド調査したりして、リフレッシュできましたので、秋からノソノソ復活して今に至ります。

ライデンでベトナム料理を食べてご満悦のわたし

 

ミャンマーではパオ・サヤドーにお会いできました!

 

パオ・サヤドーのお住まいに安置されていた仏像たち。

サヤドーは、海外でどんな大きな仏像をお布施されても、決して他の人に差し上げたりせず

ミャンマーに持って帰って大切になさるそうです。

 

 これからはもっと頻繁に記事を書きますので、皆さまからのご質問やテーマのリクエストなど、熱烈歓迎しています。お待ちしています! (メールアドレス[info@samgha.co.jp]宛に件名「ぶぶ漬け」と書いてお送りください)

 

死んだあの人、今もどこかで生きている

 実は、最近『ぶぶ漬けどうどすか?』を読んでくださっている知人友人から直接に「こんなネタを取り上げてほしい」というリクエストをいただきます。

 今回はその一つである、流産のために「この世に生まれて亡くなってしまった子の魂はどこに向かいますか。また、輪廻転生で生まれ変わることはできますか。」という質問について、私なりの仏教的な回答をしたいと思います。

 愛しい誰かを幼く若くして突然失うことって、本当に悲しいですよね。愛別離苦の一つです。私は自殺・自死に対する仏教観というテーマをずっと研究してきました。特に亡くなった人が若い人である「夭折」について考えてきました。でも、何歳からが若い死なのでしょう? 人生50年だった昔の時代なら30歳は熟年期かもしれませんけど、現代においてなら十分若いですよね。どちらにせよ、先立たれることは悲しい体験です。

 本来、仏教では生命は解脱するまで生まれ変わることを前提としています。日本の仏教と、私が出家した東南アジアのテーラワーダ仏教とでは転生の考え方が違いますけど、もし私の考え方をお話しすることで、愛しい誰かを失った体験をなさった皆さまのお気持ちが、少しで和らぐなら、とっても嬉しいです。

 今までいろんな人から「どうして自殺について研究しているんですか?」と聞かれて、適当に答えてきましたけど、実は私も大切な人を失ったことがあるのです。とてもとても大切な人、でも亡くなるまでそれに気づかなかった大切な人でした。だから、当時は自分を責めました。どうしてSOSのサインを見逃したんだろう? どうしてもっと助けてあげなかったんだろう? って。自分の命をあげるから、代わりに私が死ぬから、どうか戻ってきてほしいって、よく泣いていました。

 でも、原始仏教というかテーラワーダ仏教では、生命は死んだ後、指を鳴らす一瞬のうちの何百、何千分の一のスピードで、0.00001秒後ぐらいの瞬時で、すぐに次の生に生まれ変わると考えられています。ですから、お母さんのお腹から生まれ出る前に亡くなってしまった赤ちゃんも、もうすでにどこかで生まれ変わって新しい人生を始めていることになります。

 どんな生き物なのでしょうね? 人間だったらいいですね。そして、今度は健康で、長生きしてくれるといいですよね。楽しいことやワクワクすること、愛し愛されることをたくさん経験してくれるといいですよね。

 

愛しい人には廻向をしよう

 私は仕事がら、学会やら調査やらで世界中へ出かけています。いろんな国で美しい景色を見たり美味しい料理を食べたりすると「ああ、これをあの人に見せたいな」「あの人にも食べてもらいたかったな」「でもそうする前に、あまりにも早く亡くなってしまった……」としんみりすることがあります。

 仏教思想に従って、亡くなったあの人がもうすでにこの世界のどこかに存在していると考えるなら、またぜひ会いたいです。あるいは虫とか魚として短い寿命で転生を繰り返しているなら、次は私の子供として生まれてきてほしいと願ったこともあります。そしたら大切に育てて、長生きして、いろんな経験をしてもらおうと思っていました。

 でも、私たちは仏陀のような神通力はありませんから、その人がどこに生まれているか分かりません。将来、会えるという保証もありませんし、今後、新しく出会う人が「その人」かどうかも、気づくことはできません。

 だから、仏教徒である私たちにできることとして、「廻向」(えこう)があります。赤ちゃんを亡くした方は、どこかお寺でお布施したり、子供の基金などに募金したりして、その子に廻向して差し上げてください。「このお布施の功徳が、亡くなった私の子供の次の人生での功徳にもなりますように」「このお布施の功徳によって、今この世界のどこかで生きているわが子の善き業となりますように、もっと幸せに長生きできますように」と。

 あなたが何か善いことをするたびに、その子に廻向してあげてください。小さなことでもいいと思います。お年寄りに席を譲るとか、道に迷っている旅行者を助けるとか、ボランティアしてみるとか。

 そうそう、瞑想も功徳の高い行為ですので、瞑想する前に「今から私が行います瞑想の功徳が、亡くなった我が子の善き業となりますように」と決意(アディッターナ)してから、頑張ってみてください。終わったら同様に「先ほど私が行いました瞑想の功徳を、亡くなった我が子の善き業となりますように」と廻向してくださいね。

 ミャンマーやタイの仏教徒は、このような形で廻向していらっしゃいます。素敵だと思いませんか?

私は最近、肉親を失くされた別の知人から「この悲しみっていつになったら無くなるんですかね?」と聞かれました。私は「いつまでも無くならないよ。思い出せばいつだって苦しい」と答えました。

 私は凡夫なので、本当に、思い出せばいつだって心の一番柔らかい部分が突然ナイフでザクザク切り刻まれそうなくらい痛いです。心臓がキューって掴まれて呼吸ができなくなるぐらい苦しいです。一気に目の奥が熱くなって、涙があふれ出てしまうくらい悲しいです。

 5年経っても、10年経っても、ずっと苦しいです。でも、私は私にできることとして、自分が功徳を行うたびに廻向をするだけです。

 

ひとそれぞれ自分なりのお弔い

 そして、「どうして自殺の研究をしているの?」という質問への答ですが、私は自分がもっている知識やスキルを使って、亡くなってしまった私の愛しい人たちのためにできる私なりの「お弔いの方法」がある、そう信じて仏教と自殺」の研究をしてきました。それが、私が博士論文までこの研究テーマで走り続けてこられた原動力でした。

東南アジアにいた頃は、月命日に毎月お布施をして、それを廻向していました。

上の写真はクラスメイトの僧侶たちにお食事のお布施をした様子です。

 

 一つ、仏教のジャータカからお話を紹介しましょう。ある王国で美しい王妃を亡くした王様が、毎日嘆いていらっしゃいました。菩薩はそのとき神通力を備えた修行僧でした。あるバラモンから「あなたの神通力で、王様に亡くなった王妃がどこに生まれているか教えてあげてください。会わせて会話させてあげてください」と依頼されました。菩薩はそれを承諾します。

 王様はもう嬉しくて「王妃はどこにいるの?」とさっそく菩薩のところにやってきます。菩薩はこう答えました。「あなたの王妃は生前自分の美貌に慢心があり善い行いもしてこなかったから、王国の園の動物の糞の中で、糞虫として生まれ変わった」と。

 王様はもうビックリして、「王妃と話させて!」と涙目です。そこで菩薩は神通力を使うと、その糞虫が現れて、人間の女性の声で話します。「あら王様。私、今の糞虫の夫と一緒に生まれ変わって今生を楽しんでいるし、彼を愛してるわ。」と。

 王様は、王妃がすでに新しい生を始めていることを悟ると、菩薩を礼拝して自分の王国に戻りました。その後、再婚し善行にのっとって国を治めました。

 まあ、この話は極端ですけれど、とりあえず私はテーラワーダ仏教徒なので、亡くなった誰かはすでにどこかに生まれ変わって新しい生を送っていると信じています。

 もしもあなたの大切な誰かが、愛しい我が子が、新しい生で幸せに生きてほしいと願うなら、そして次の生ではもっともっと幸せに生きてほしいと願うなら、あなたが行ったどんな功徳でも、廻向してあげてみてくださいね。

 もしかしたら、あなたのすぐそばで生まれ変わってきてくれるかもしれない、また来世のどこかで巡り会えるかもしれないという小さな希望をこめて。でも執着するのではなくて。

 

 あなたの愛しい人の次の人生が、幸せ多きものとなりますように。

 

 慈悲をこめて、

 

 スナンダこと川本佳苗

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川本佳苗(かわもと・かなえ)

京都府出身。出家名スナンダ。京都大学東南アジア地域研究研究所研究員。専門は仏教倫理(自殺・自死)と東南アジアの瞑想実践・仏教文化。2008年よりミャンマーの国際テーラワーダ布教大学に留学し、パオ(パーアゥッ)瞑想院で尼僧として修行する。2014年にタイのマハーチュラーロンコーン大学で修士号を取得後、日本学術振興会特別研究員(DC)・ベルン大学宗教学研究所研究員を経て、2017年に龍谷大学大学院で博士号を取得。国内外で広く活動し、”Love Incessantly Flows: Mae Naak, a New Asian Opera Heroine Born outof a Thai Buddhist Narrative“(Contemporary Buddhism、2017)、「パーリ経典に描かれる比丘の自殺と対話の意義」(『別冊サンガジャパン④ 死と輪廻』、2018)など多数の論文を発表。『K.N.ジャヤティラカ博士論文集 第1巻』を翻訳。

 

Website: https://kyoto.cseas.kyoto-u.ac.jp/organization/staff-2/kawamoto/

 

『サンガジャパンVol.34お金』(2019年12月末刊行)では、スナンダ節でサヤレー時代のお金にまつわる苦労話を書いています。

 

『K.N.ジャヤティラカ博士論文集 第1巻』

ジャヤティラカ博士論文集 第1巻

『別冊サンガジャパン④ 死と輪廻』