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「心の本質」にせまる 『ブッダの実践心理学』 その1
御礼
先日は、第39回サンガくらぶ 「ブッダの実践心理学 特別講義『涅槃(ニッバーナ)について』」
にご来場いただき、ありがとうございました。
最終章の書籍化に向け、現在、準備を進めています。
その前に、サンガの真髄『ブッダの実践心理学』シリーズについて、多くの方に理解を深めていただきたいと思います。
掲載記事、「心の本質」にせまる 『ブッダの実践心理学』(寄稿:藤本晃)
からの抜粋をwebサンガジャパンにて複数回に分けてお送りいたします。
仏教による心のアプローチ
「西洋」心理学は、心のはたらきを解明し役立てるためにどんどん発展して、結局、心に関わるすべての分野に研究と活動の範囲を広げつつあります。
仏教では、ブッダ(釈尊)が最初に、すべての心(生命)の根本は悩み苦しみであると見抜きました。そしてその苦しみをなくすために、すべての生命活動について初めから解決策を教えていました。
初めからすべてです。
しかし、目の前で現に悩み苦しんでいる人に、(子供を失った苦しみの解決方法、商売で成功する方法、怒りを抑える方法など)ありとあらゆる心の問題の解決方法を教えてあげる必要はありません。
一人の人がたくさんの悩み苦しみを抱えていようとも、今、苦しんでいるのは、どれか一つの問題だけなのです。その人が今まさに悩んでいるその苦しみを、ブッダは解決してあげます。
一つずつ、確実に、です。
心の悩み苦しみを解決するブッダのやり方は、外科医の治療に似ています。腕が一本折れて、胃潰瘍にもなっていて、そのうえ失恋のショックで鬱にもなっている患者が来たら、医師は、一番緊急の腕の骨の治療から始めるでしょう。
腕に麻酔をかけながら胃を触って「痛いですか?」と聞いたり、ましてや「まあ、出会いも別れもいろいろあるからね」などと慰めたりしません。骨をくっつけることにだけ集中します。もちろん、痛くもない耳を「中耳炎はありませんか?」などと調べたりしません。一度に一つずつ、しかも、悩み苦しみを解決するためだけ、です。
しかし、解決方法があまり明確でない症例もあります。折れた骨をつぐことに関しては、外科医には明確な解決法があり、実際にやり遂げることもできると思います。しかし、完璧に繋いだはずの骨がくっつかない場合もあります。患者が死亡した場合です。その場合は、なぜか骨も繋がってくれません。身体に心がないと、身体がはたらかないのです。
胃潰瘍が治療もしないのに勝手に治る場合もあります。なかなか治らない場合もあります。
新しい彼女ができたから? 会社の問題がますます逼迫したから? 心のはたらきが変わってしまって、それが影響するのでしょうか。
鬱には、やっぱり内科より精神科でしょうか。しかし、明らかな心の問題に、まず薬で脳にはたらきかけるのは、心の荒波に無理やり麻酔をかけて抑えているだけですので、効果はどうでしょうか。
心理学は特に精神医療において、患者の心に直接向き合う形で当初から大きな寄与をしていますが、一人一人の患者にどのようにアプローチすべきか、結構ケースバイケースで、手探りの積み重ねではないでしょうか。
ブッダは表立って身体の治療に関わることはしませんでしたが、身体のことも熟知していました。
臓器や分泌物などの身体の中身を、瞑想の力で一つ一つありありと確認する修行は、仏教ならではのものです。青白い病的な顔つきで貧農の村を托鉢し、いつも眠気に襲われて修行もままならなかった弟子に「あなたは明日からあっちの漁村で托鉢しなさい」と、理由も言わずに指示したこともありました。小魚などをお布施されるようになったその弟子は見る見る元気を取り戻し、修行に励んでじきに完全な悟りを開いたそうです。
しかしブッダの主な関心は、やはり心の問題でした。しかも「健全な」心を「治療」するのです。
もちろんブッダとて、子供を亡くして苦しむ母を放ってはおきません。ちゃんと見事に「治療」して苦しみを取り除いて、心の落ち着きを取り戻させてあげます。それは精神医療としては、完全治癒の100%の状態でしょう。でもブッダにとっては、それはマイナス状態の心がやっと±0の状態にまで這い上がっただけなのです。一般社会で「健全」と見られる心が、ブッダにとっては、やっと「治療」のスタート地点なのです。
ブッダの治療は、一見「健全」に見える、でも本質は苦しみばかりで貪瞋痴(とんじんち)に満ちた心を、苦しみから完全に解き放つ・解脱させることなのです。
対機説法からアビダンマへ
ブッダは心の医師としてたくさんの患者を治療してきました。治療の仕方は、もちろん患者一人一人の症状に応じてカルテも一つずつの、対症療法です。相手の心の状態に応じてそれぞれ適切に導くその手法を、仏教用語で「対機説法」と呼んでいます。
ブッダの対機説法のカルテが、現在も残る膨大な数と種類の仏教経典なのです。
特にパーリ語の経典と戒律には、ブッダ釈尊が亡くなって(大般涅槃して)三カ月以内に確認されたすべての内容がほぼ完全な形で遺されています。
その膨大な対機説法を収録した経典の内容を、覚えやすいように、また、後の人々が少しでも便利に学べるようにと考えて、そのエッセンスを抽出し、大事な項目をいろいろな種類に分類し、項目を数えて、項目ごとの見出しも付けて、簡単に検索できるようにまとめ直したりもしていました。その分類作業と、その結果まとめられたエッセンスが、アビダンマ(サンスクリットではアビダルマ)です。
アビダンマとは、あちこちで発行された何百万冊もの膨大な書物を分野別に整理して、項目やキーワードなどでも検索できるように整理する図書分類法と、それに基づいて作られた項目カードのようなものなのです。
ブッダの説法をアビダンマ的に分類することは、ブッダ釈尊在世の頃からおこなわれていました。
誰よりもブッダ自身が、そして特に智慧第一のサーリプッタ尊者が、説法をさまざまに分類してまとめていました。ブッダの説法を「煩悩は貪瞋痴の三つ」や「五蘊(ごうん)」などと項目の数ごとに分類した「増支部」経典群は、アビダンマの先駆けと言えましょう。サーリプッタ尊者による1から10までの項目分類の説法も、釈尊が是認した「経典」として数多く収録されています。ブッダ釈尊在世の頃は、まだアビダンマと経典を区別することなく、説法に目次を付けるような、説法の一つのスタイルのように、アビダンマが考えられていたのかもしれません。
ブッダ釈尊が亡くなって(大般涅槃して2~300年後には、パーリ語で伝えられたアビダンマは経蔵・律蔵に並ぶ第三の論蔵として、『法集論』や『論事』など七本の「論」が経典と別に保持されるようになりました。
その後、経・律・論の三蔵それぞれに対してさまざまな長老方の解説に始まる註釈が、特にスリランカでたくさん作られるようになりました。しかしその後、仏滅約1000年の紀元5世紀になると、ブッダゴーサ長老や後に続く長老方が比丘サンガの許可を得て、経・律・論のテキスト一つずつに対して註釈も一書だけにまとめてしまおうということになり、多大な努力を払い、成し遂げて、現在に至っています 。
(つづく)
その2はコチラ
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