社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)
『スッタニパータ 第五章「彼岸道品」 第二巻』
過ぎていく時間
時間は過ぎていく。
何をしても、何もしなくても、それでも時間は過ぎていく。
「ここに留まっていたい」と思っても、
「早くこんな時間過ぎされ」と思っても、
時間は同じように過ぎていく。
こんなことは当たり前なのかもしれないが、
普段はそんなことは
真剣に考えずに生きている。
つまり、車でいうなら、
セカンドかサードで走っていて、
トップスピードに入ってたまに後悔し、
ときどきアイドリングしながら、
たいていはセカンドかサードで走っている。
新型コロナウイルスと生きる時代
「新型コロナウイルス」
というような共通の話題が、
世界中で語られているのを、
今ほど人類が目撃している時代は、
かつてあったのだろうか。
僕もサンガ社員も、
このことを目撃している登場人物として、
避けて通ることはできない。
たぶん僕は、
生まれて初めてというくらい、
こんなによく手を洗い、
かつてないほどマスクをし、
東京で生活している。
今、姉貴が、
フィリピンでの混乱を避けるために
日本にやってきて、
僕と同居している。
姉貴は、LINEやハングアウトを使って、
よく友達と話をしていて、
新型コロナ関連の情報が入ってきているようだ。
それによって
姉貴の新型コロナへの関心は、
ますます倍化されて、
さらにそれを僕にいちいち伝えるので、
基本的には
「やるべきことをやって、
それ以上のことは仕方ないな」
と思っている僕も、
不必要なまでに心配になってしまう。
人は何を目指して生きるべきなのか?
2020年3月に刊行した
アルボムッレ・スマナサーラ[著]
『スッタニパータ 第五章「彼岸道品」 第二巻』
の本文にある一文でもあり、
帯に掲げられている文章がある。
「人は何を目指して
生きるべきなのか?」
これを見て僕は思った。
「そうだよな。
はじめからこれだったはずなのに、
車はもう大きく逸れて、
本質を見失い、
例えば海に行くはずだったのに、
いつの間にか山のほうに向かっている」
そのことに
今回の新型コロナウイルスにまつわる問題は、
まさにそれに気づかせてくれる出来事だと思う。
車を、目的の上に方向転換して、
再出発すべきだということを、
今の世界は、
僕たちに警鐘を鳴らしているのだと思える。
スマナサーラ長老はyoutubeで、
「理性ある人の選択」というテーマで、
法話をされている。
今こそ読むべき「スッタニパータ」
『スッタニパータ 第五章「彼岸道品」 第二巻』には、
経典からの引用が掲載されている。
ナンダ仙人の問い 3
1081(1087).
‘‘Ye kecime samaṇabrāhmaṇāse, (iccāyasmā nando)
Diṭṭhassutenāpi vadanti suddhiṃ;
Sīlabbatenāpi vadanti suddhiṃ, anekarūpena vadanti suddhiṃ;
Te ce muni brūsi anoghatiṇṇe,atha ko carahi devamanussaloke;
Atāri jātiñca jarañca mārisa, pucchāmi taṃbhagavā brūhi me taṃ’’.〔参考訳〕
ナンダさんがいった、
「およそこれらの〈道の人〉・バラモンたちは、見解によって、また伝承の学問によっても清浄になれると言います。戒律や誓いを守ることによっても清浄になれる言います。(そのほか)種々のしかたで清浄になれるとも言います。聖者さま。もしもあなたが『かれらは未だ煩悩の激流を乗り超えていない』と言われるのでしたら、では神々と人間の世界のうちで生と老衰を乗り超えた人は誰なのですか? 親愛なる先生! あなたにおたずねします。それをわたくしに説いてください。」(中略)
ブッダの答え 3
1082(1088).
‘‘Nāhaṃsabbe samaṇabrāhmaṇāse, (nandāti bhagavā)
Jātijarāya nivutāti brūmi;
Ye sīdha diṭṭhaṃva sutaṃmutaṃvā, sīlabbataṃvāpi pahāya sabbaṃ;
Anekarūpampi pahāya sabbaṃ, taṇhaṃpariññāya anāsavāse;
Te ve narā oghatiṇṇāti brūmi’’.〔参考訳〕
師(ブッダ)は答えた、
「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆われている』と、説くのではない。この世において見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究め明して、心に汚れのない人々、―かれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』とわたしは説くのである。」〔出展〕アルボムッレ・スマナサーラ[著]『スッタニパータ 第五章「彼岸道品」 第二巻』(サンガ、2020)pp.169-170
※〔参考訳〕は中村元[訳]『ブッダのことば スッタニパータ』(岩波文庫)より
スマナサーラ長老は、
この経典を踏まえて、
こんなことを言っている。
存在欲の場合は、心は無常で流れるから発見が難しい。あるときは怒りの心になって流れたり、あるときは落ち込みの気持ちになって流れたり、いろいろな形で流れてしまうのです。その流れを観察して、「根本的に、これは渇愛である」と自分で発見するのです。
私が瞑想指導で最初から口を酸っぱくして言うのは、「放っておきなさい」というキーワードです。放っておいて、心の流れに気づいてみるのです。怒り・欲・落ち込みなどなどの感情が、その都度その都度、現れて消えていくさまを確認してみるのです。確認を続けると、渇愛が見つかるのです。生きるという、生老病死の限りない苦の流れが、渇愛によって現れるものだと発見することができます。
そういうふうに心を見ない限りは、誰だって清らかな心はつくれないのだということをお釈迦様がおっしゃっているのです。お釈迦様の答えは「渇愛を発見するしかない」なのです。渇愛を発見する人々には、anāsavāse 煩悩がないのです。〔出展〕アルボムッレ・スマナサーラ[著]『スッタニパータ 第五章「彼岸道品」 第二巻』(サンガ、2020)p178
今の状況は、
車を方向転換し、
前後左右をしっかり見て
力強く再起動するための
絶好の時代なのだと思う。