社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)
『スッタニパータ 第五章「彼岸道品」』――聖者と凡人の壁
まずはじめに愕然とするのは、
この本に出てくるアジタ仙人、ティッサ・メッテイヤ仙人、
プンナカ仙人、メッタグー仙人――
この4人とも、みな、聖者であるということだ。
そもそも聖者がブッダに質問しているのだから、
凡人である僕たちの問いとは、質が違うのだ。
問い自体は理解できたとしても、
ブッダが聖者たちを見ながら答える言葉は、
凡人である僕たちが発することとは、根本的には違う。
まずはそのことを頭に入れておかないと。
まあ、頭に入れておいても、
難しいことは難しいのだ。
悩みを生み出す500種類のコンビニドリンク
「我は幻影である」ということ、つまり、
「『六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)』に
『六境(色・声・香・味・触・法)』が触れることによって
作られる幻影が我である」
ということは論理的には理解できても、
その我を肯定する要因が、この世には満ち溢れている。
肯定するというよりは、僕たちはむしろ、
「我」を強化していかなければ
生きていけないようにされてしまっている。
本当に喉が渇いたときは、
ただ水があれば、それだけで嬉しい。
水の質なんて、どうでもいい。
だけどコンビニに行けば、水自体の種類も多いし、
また、ジュースなども含むと、
たぶん500アイテム以上の飲み物が
ところ狭しと並んでいる。
だから、はじめはただの水でよかったカテゴリーが
500以上もの品数に迫られ、
そこで僕たちは悩み、苦しんでしまう。
執着はどこにある?
「ここまで自分はやってきたから、
この道をひたすら努力して、かんばって進むぞ」
と心に誓ったりもする。
「今まで駄目だったから、何とか自分を変えて、
これから新たな自分に改造していこう」
なんて思ったりする。
「人生の意味は何なのか?」
「自分とは何なのか?」という問題で葛藤し、苦悶し、
はては自殺まで考えてしまう。
この本では、生老病死そのものが苦であり、
「執着から苦しみが生まれるのだ
(upadhinidānā pabhavanti dukkhā)」
と観察しなくてはいけないと述べられている。
悩み苦しみが起きるたびに、「執着はどこにある?」と、執着を見つけてください。悩
み苦しみをなくす必要はないのです。これはもう、生きること自体が悩み苦しみですから、
それは放っておけばいい話です。
出典:『スッタニパータ 第五章「彼岸道品」』
「Ⅳ メッタグー仙人の問い(Mettagūmāṇavapucchā)」208ページ
つまり、生老病死が苦なのだから、
その生老病死に執着すること自体、バカなのである。
そこで自分の中に生起する苦しみを観察して、
その苦しみの無常を知るのだ。
「幸福になれない自分」を超えるために
「生きること=苦」であるのに、
それをもとめてやまない自分――。
その矛盾に気づかずに、
「苦をもとめてやまない自分」という状態に
僕たちはおちいってしまっている。
長老がよく言われる、
「地球が丸い」という真理。
しかし、僕たちは「地球が丸い」とは実感して生きていない。
それが分かれば、本当に幸福になれるのに、
さまざまな世俗的な理由をつけて、幸福になれない自分がいる。
やっぱり、はじめに戻るけれども、
ヴィパッサナーで自分の心を観察し、
「我」という虚妄を解体するしか、道はないのだ。