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イギリス アマラワティ僧院副僧院長「アチャン・ニャーナラトー師インタビュー」その3
サンガは文化的な違いを越えることはできるか
僧院の海外展開
――イギリス以外にも、西洋の各地にアチャン・チャー系列の僧院がありますね。
イタリアやスイスにはだいぶ前からお寺があります。ポルトガルにも最近できました、でも、できるまでに十年かかっていますね。ポルトガルの青年が何人も出家したり、熱心な地元の人たちの活動があったりするなかで熟していきました。
アメリカも、カリフォルニアでは長く僧院が活動していますが、東海岸のボストンで最近はじまったお寺もその設立に十何年かかっています。ハンガリーでは同じぐらい時間をかけているけど、まだできない。
お寺をつくる、サンガをつくるというのは、一般にダンマを広げるのに要する苦労・作業に加えて、場を育て、人間を育てるという面が重要になります。テーラワーダの寺を始め、それを続け、育てていくというのはとてもすばらしいことですが、多くの要素が関わっていて、じっくりと取り組まねばならないことだと思います。
――タイ以外では現在、系列の僧院の数はどのくらいになりますか。
イギリスに六つ、スイス、イタリア、ドイツ、ポルトガルに各一つずつ、アメリカとカナダに各三つ、オーストラリアも三つ、ニュージーランドに二つ、といったところです。
――タイ内外のアチャン・チャーの弟子比丘の総数は、何人ぐらいいらっしゃいますか。タイ人以外の比丘が多いのでしょうか。
最近の正確な数字には通じていないのですが、何百から千人を超える数字かと思います。アチャン・チャーの命日にサンガが本山であるワット・パー・ポングに集いますが、そうした数です。それに数千の在家の修行者・信者も参加します。タイ人がその大半です。また、昨年、アマラワティで、世界中のアチャン・チャーの僧院の代表らが集まった時は、出家者が合わせて
約百人ほどになりました。
――そのなかで、ニャーナラトー師と、先輩僧でいらした元比丘の柴橋光男さん(アチャン・光男・カウェーサコー師)以外にも、日本人比丘はいらっしゃいますか。
アマラワティ僧院にはいないですね。ナナチャット森林僧院にもいません。その他のアチャン・チャーの流れをくむ僧院ですと、タイのカンチャナブリにあるスナンタワナラームに、アキさんという日本人がまだいるはずです。もう一人ミャンマーで出家したウシリさんも、まだいるかもしれません。
さん付けにしましたが、もうふたりとも長老です。そんなところですね。縁がないのでしょうか、アチャン・チャーのお寺にはこれまで日本人はあまり来ませんでした。
――しかし世界的に見るとアチャン・チャー師は最も知られた、現代のタイの長老といってよいでしょう。その僧院は世界に広がっていっています。
そうですね。最初にアチャン・スメードーにアチャン・チャーがイギリスに行くことを認めたことから始まり、展開してきたといえますが、それについて僕なりにコメントしてみますと――
いくつかのことが今、思い浮かぶのですが、一つはアチャン・チャーの、人間に対する「信」です。僕らのようにいろんなことを考えて、あれこれ心配し惑うのが普通の人間の心です。でも、彼は人間のよい側面をスッと信じるという深いパンニャー(Paññā :智慧)があった。
それは人間に対しての理解であり、「信」ですね。僕らみたいな中途半端な、心配する理解じゃなくて、「いや、これがあるから大丈夫だ」と言い切る、根本的なものといえるかもしれません。西洋社会での僧院の設立ということも、その点につながっていると思います。
当初、こういうことがあったそうです。アチャン・スメードーをリーダーとして西洋でのサンガは育ち、大きくなっていきましたが、その当初、イギリスに来るかどうかは大きな決断でした。
イギリスは仏教国ではないし、現代社会の真っ只中にある国です。比丘として、戒律を守ってお金を持つこともなく生きていくことができるのか。こんな所ではたしてサンガをやっていけるのか。
アチャン・スメードーは、師であるアチャン・チャーに相談しました。アチャン・チャーは「西洋には心やさしい人はいないのか」と尋ねます。もちろん、アチャン・スメードーは「います」と答えました。
すると「だったら大丈夫だ」。それだけです。そして、アチャン・スメードーは、自分の師の言葉ですから「じゃあ行きます」と決意しました。
彼はこの話をいろんな機会にくり返し語り、僕も何回も聞きました。アチャン・チャーの、人間に対する深い洞察と、また、それを汲み取ることのできたアチャン・スメードーの智慧を垣間見る、大切なエピソードだと思います。
その結果、今ではイギリスをはじめ西洋各地に、アチャン・チャー系の僧院ができました。それを分析して解説のようなことを言えば、タイをはじめアジアの仏教国の人たちから多くのお布施や協力があったとか、現代西洋人がダンマを求めていたとか、そういう面で語ることもできますが、でも根本的なことを言えば、アチャン・チャーの言葉の通りだったわけですね。
人間の心のやさしさ・親切さがあらわれ、そこに働いていました。人は集まり、必要な四依(衣食住薬)が入ってきました。それは素晴らしいことです。
そして、じゃあ誰でもできるかというと、それは違い、ダンマの理解や能力があり、この人ならまかせても大丈夫だろうという、アチャン・スメードーという人がいたからですね。だからアチャン・チャーの徳であり、アチャン・スメードーの徳であり、もっとかえせばブッダの徳です。
ブッダが二千何百年前に成道されてダンマを説かれ、それが現在のアジアにあるし、イギリスにも伝わり、日本にもこうして来ているのです。
それからもう一つ、アチャン・チャーとアチャン・スメードーの素晴らしいところ、彼らの徳というのは、ダンマを非常に上手に明晰に説くことができ、僧俗両方を育てたということです。片方だけという人は結構います。サンガや僧侶を育てるのが上手な人もいれば、一般に広く一生懸命に教えている人もいます。
でも、両方をよく導き、育てる人はなかなかいないんですよね。それができた人、できる人というのは、そういうパーラミー(Pāramī :徳)があったというか、そういう力と縁があった人だと思います。
またアチャン・チャーやアチャン・スメードーの教えは、そういう大きな発展を導きやすいスタイルであると思います。つまり、特定のあり方・方法にとどまらず、ダンマの根本・本質に常に返り、いつもそこを見失わないことが説かれているからです。
サンガはものすごく育っていきます。なぜかと言うと、いかなる機会も修行として見る態度が、教えを通して培われているということがあると思います。
例えば、寺が必要とされるときは、「よしやってみよう」と前向きに考えることにつながります。実際、イギリスの場合もそうですし、タイにも二百以上のお寺ができました。
こうしたことは修行の邪魔になるという懸念のほうが強くなるかもしれません。「修行をそんなに長くしていないのに、お寺を建てるなんて、まだ無理じゃないですか」という話に当然なりがちです。
でも、「寺を造ることで勉強しなさい」、あるいは「造ること自身がダンマである」というあり方が、アチャン・チャーの教え方であり、生き方でした。弟子たちもサンガも、そのスタイルを継いでいるから、そのまま発展が続いているような感じですね。
(つづく)その4
取材・構成:森竹ひろ子(コマメ)&サンガ編集部
2017年8月10日アチャン・ニャーナラトー師法話会の詳細情報・ご予約はコチラから。
本記事は、『サンガジャパン20号 特集「これからの仏教」』の転載です。