社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)
レオナルド・ダ・ヴィンチと僕――天才と凡才
新刊『レオナルド・ダ・ヴィンチ』との出会い
僕はレオナルド・ダ・ヴィンチが好きだ。
よく、「織田信長と豊臣秀吉と徳川家康の誰が好き?」
という質問があるが、
その答えは人それぞれ違っている。
それと同じように、
「レオナルドとミケランジェロとボッティチェッリの誰が好き?」
という質問も
人それぞれ違うということなんだと思う。
レオナルド・ダ・ヴィンチは
1452年に生まれ、1519年に死んだ
ルネッサンス時代に生きた天才だ。
昔、テレビでレオナルドのドキュメンタリーをやっていて、
その中で今でも記憶に残っているのは、
彼が絞首刑になった男を、
その場所で夢中になってスケッチしていた姿である。
そのおおせいな好奇心に、
僕は圧倒されたのを憶えている。
今回、書店で
レオナルド・ダ・ヴィンチの本が出ていたので、すぐ買った。
この本の著者は後で知ったのだが、
ウォルター・アイザックソンである。
(『レオナルド・ダ・ヴィンチ 上・下』
ウォルター・アイザックソン[著]/土方奈美[訳]、文藝春秋)
レオナルドと僕の共通点
彼はかつて、スティーブ・ジョブズに頼まれて、
ジョブズの評伝をかいた人物である。
(『スティーブ・ジョブズ1・2』
ウォルター・アイザックソン[著]/井口耕二[訳]、講談社)
ジョブズの評伝は、僕も同じ時代を生きてきたので、
彼がすごく身近に感じられ、夢中になって読んだ。
しかし今回は、時代が500年以上前と古く、
のめり込むのにだいぶ時間がかかった。
それでも僕は、100ページぐらいまで我慢して読み続けると、
大体どんな本でも、読書エンジンがかかってくる。
レオナルドと僕の共通点は、
その「妄想・想像好き」だと思う。
僕も小さい頃から、空を飛ぶことを夢想し、
夢想しすぎて、夢の中で空を飛んだことが何度ある。
違う点は、レオナルドはその想像を、
実験によって実際に試してみたことだ。
この本によると、レオナルドのノートにこんな書き込みがあったという。
「鳥の羽と、それを動かす胸の筋肉を解剖学的に研究すること。
同じ研究を人間についても行い、
人間が羽を動かして空を飛ぶ可能性を調べる」
(『レオナルド・ダ・ヴィンチ 上』ウォルター・アイザックソン[著]/土方奈美[訳]、239ページ)
アイザックソンは、
現存する7,200ページにもおよぶ
レオナルドが遺したノートを丹念に拾い上げ、
それをもとにこの本を書いている。
実際はこの4倍はあったというから、
レオナルドは、28,800ページものノートを
書いていたことになる。
恵まれた家に育ったわけではないレオナルドは、
大学へも行かず、
その天才的な才能は、
自らの経験によって育まれた
華やいだ人間性はどこへゆく?
彼を画家として見るむきも多いと思う。
それは『モナ・リザ』の微笑みや、
『最後の晩餐』に代表される絵画が
あまりにも強烈に僕たちの中にあるからだろう。
しかし、彼は
この世の森羅万象に興味を持っていた。
そして上巻を読むにつれ、
それは数多くの未完の作品研究があったおかげなんだと分かった。
AIが叫ばれる現代、
実際の経験がなくなり、
ヴァーチャルな経験ができる世界にもっとなったら、
ルネッサンス時代から華やいだ人間性は
いったいどうなってしまうのだろうと、不安になる。
そしてレオナルドは基本的には、
机上の論理や学説などは軽蔑している。
彼が信じたのは、
その現場でのひらめきをノートにすることと、
そのノートを実証できるかどうかとの戦いであった。
彼が描いた夢は、
人間の人体が宇宙の法則と一致していることを
証明することだ。
それは、仏教で言うところの
「覚りによって
この世すべてが説明できる」
という真理に相通ずるものがあると思う。
僕もいつか『ブッダの聖地』をもとに
「映画にしよう」などと夢想している。
みんなも見たいと思うだろう。
アーユルヴェーダという未知の世界
ところで今回は、スマナサーラ長老と、
アーユルヴェーダのパーリタ先生の講演会の告知もある。
アーユルヴェーダは、僕にとっては未知の世界で、
なおかつ好奇心の対象である。
仏教とアーユルヴェーダが
どこでどう繋がっているのかを知ることは、
これはこれですごく面白いと思う。
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