社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)
三帰依
サンガくらぶに急遽登壇
昨日、第56回サンガくらぶで、
『K. N.ジャヤティラカ博士 論文集 第1弾』
刊行記念イベントがあった。
イベントでは、スマナサーラ長老のほか、
本書の翻訳をされた
川本佳苗さんも特別ゲストで出演されたのだが、
それに加え、急遽、僕もお二人の間に入って、
登壇することになってしまった。
タイトルからも分かるように、
本格的なテーマのイベントだったので、
集まった人たちはみんな、
テーラーワーダ仏教のハードコアの人たちだった。
でも、そんな人たちの前で話すのは、すごく気持ちがいい。
「迷い」ってなんだろう?
先日、出家するかどうか迷う人から相談をうけたが、
彼はずいぶん迷っているなあと思った。
迷うって、いったいどういうことだろうか?
本来、自我がないなら、迷うはずもなく、迷うすべもないはずだ。
自我の妄想があればあるほど、迷うし、悩むし、苦しむ。
人はその傾向によって、苦しみ方も違う。
ある人にとってはどうでもいいことでも、
他の人にとっては、人生の一大事だったりする。
スコットランド生まれのアメリカの実業家、
アンドリュー・カーネギーの言葉に、こんなものがある。
Concentrate your energies, your thought and your capital.
The wise man puts all his eggs in one basket and watches the basket.
気力と思考と資本とを集中的に投入せよ。
賢者は1つのことにすべてをかけて、あとはその進展を見守る。
毒矢のたとえ
でも昨日、出家に悩んでいる人と
話している間に思ったことは、
「そんなこと言ったって、
僕だってずいぶん迷っているな」
ということとだ。
そして、この一節を思い出した。
迷っているときではない。迷っている暇もない。
いわば自分に刺さり矢を射る人が誰なのか、
どこから飛んできたのか、と問う暇はない。
まずその矢を抜かなければならない。
(毒矢のたとえ)
そんなとき鍵になるのは、やはり三帰依だと思う。
ブッダ(佛・覚者)に帰依いたします。
ダンマ(法・真理)に帰依いたします。
サンガ(僧・聖者の僧団)に帰依いたします。ふたたび、ブッダ(佛・覚者)に帰依いたします。
ふたたび、ダンマ(法・真理)に帰依いたします。
ふたたび、サンガ(僧・聖者の僧団)に帰依いたします。みたび、ブッダ(佛・覚者)に帰依いたします。
みたび、ダンマ(法・真理)に帰依いたします。
みたび、サンガ(僧・聖者の僧団)に帰依いたします。
(三帰依)
帰依と智慧
もしかすると、
帰依の力が、
その力が強ければ強いほど、
見えてくる地平は、まったく違ったものになると思う。
長老が昨日言っていたが、
スリランカ人は時にはだらしなく見えるけど、
かぶりものをしていない、
生まれながらの仏教徒なんだ。
やっぱりこのことが、
三帰依を唱えるときの鍵なんだと思った。