社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)
入滅の地・クシナーラーへ。そして誕生の地・ルンビニーへ――ブッダの聖地2562(その6)
〈ブッダの聖地〉ブッダ入滅の地・クシナーラー
前にも書いたが、今回の巡礼は、時系列ではなく、
地理的に近い場所から順に訪れているのだが、
なんか時系列ではなく、この順番でもいいような気がしてきた。
2月12日朝。
ブッダ入滅の地・クシナーラーを訪れた。
クシナーラーは、本当は夕方に着きたいイメージの聖地だけど、
時間が合わず、朝に行くことになった。
サライによると、ここはすごく混んでいて、
涅槃堂の中に入るだけでも大変だと聞いていたが、
朝の時間帯に行ったからかもしれれないが、
そんなに混んでいなかった。
でも、僕たちは100人近くで行ったので、
ツアーの参加者だけでも、涅槃堂はたちまち満杯になった。
ブッダの涅槃像があるその場所では、
お経をあげるスペースはないので、
外の野原に、例によってオレンジのシートを敷いて、
みんなで座ってお経をあげた。
最高の食事のお布施の謎
次々と訪れる仏教徒たち――。
中には金の布を頭の上に載せて、
長い列を作っていたグループもいた。
その中で瞑想する人や、一人でお経を唱えるお坊さんなど、
まさに「ブッダの聖地」のクライマックスが展開されている。
ブッダは言ったという。
「生涯の中でもっとも大事な食事のお布施は、
スジャータ婦人の乳粥と、
チュンダの(諸説あるみたいが)きのこ料理だった」と。
ブッダはチュンダから食事のお布施をうけたとき、
赤痢に罹っていて、容態がひどく悪くなったという。
なぜチュンダの食事の供養が最高の供養なのかは、
僕にとっては謎である。
2562年も前の話だから、謎があってもそれほど不思議なことではないと思う。
入滅の時も修行を続けたダンマーラーマ
ブッダの涅槃にまつわる話は、いろいろたくさんある。
中でもダンマーラーマの話はとても印象に残った。
彼はブッダが涅槃に入るときでも、その場に行かず修行をしていたという。
ブッダの弟子たちが呼びに来てもいかず、
「これがブッダの意志だ」と言って、修行を続けたという。
そして、そのことを聞いてブッダは、
「彼こそは最高の修行者だ」と言ったらしい。
僕はこのことに仏教徒の真骨頂があると思う。
そのあと荼毘塚に行った。
スマナササーラ長老は
「この場初は王様の戴冠式が行われるすごく徳の高い土地だけど、
ブッダが亡くなったときは、ここを荼毘塚として使った」
ということを強調されていた。
入滅の地から、誕生の地へ
ブッダが「巡礼するように」と言った場所は「四大聖地」と言う。
ルンビニー。サールナート。ブッダガヤ。クシナーラー。
僕たちは、クシナーラーへ行った後、
ルンビニーへ向かった。
ルンビニーに着くのは夕方になるという。
なんて言ったって、巡礼のバスの旅は長いんだ。
バスの中では、マハラジャ放送局をやった。
今回のバスの4台すべてに、マハラジャ放送局の電波を届けるために、
サライはなんとアンテナつきの無線機を各バスに設置した。
そのための費用は、60万円もしたらしい。
スマナサーラ長老も、みんなの質問にマイクで答えながら、
いたって元気にバスの旅をすごされていた。
インドの国境を越え、
僕たちはネパールに入った。
〈ブッダの聖地〉ブッダ誕生の地・ルンビニー
ルンビニーに着いたときには、
あたりはだいぶ暗くなってきていた。
ルンビニーでは、マーヤー堂に入り、
マーヤー夫人がお釈迦様を産んだ場所を示す
マーカーストーンを見た。
そして、マーヤー堂で説法しようとしたが、
もう閉館時間だということで、
お開きになってしまった。
そこで外に出て、あたりは暗かったが、
アショーカ石柱のところで、
スマナサーラ長老はお話をされた。
その近くには池があり、
マーヤー夫人がお釈迦様を産んだ後、お釈迦様は七歩、歩かれて、
その池に産湯をつかったという話を、ありありと語ってくれた。
長老は、たぶん、大分から来た原さんの子供、亮慶君に言ったと思うのだが、
「この池の水を頭につけると、頭がすごく良くなる」と言われたので、
僕も思わず一緒になって頭をつけた。
そしてみんなも、頭に水をつけていた。
朝のクシナーラー、夜のルンビニーも、
それはそれで、素晴らしいシチュエーションになったと思う。
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