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2018.10.19

社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)

守谷瞑想合宿を終えて――人は後悔する動物である

後悔(Kukkucca[クックッチャ])

今日会社で、すごく大きな企画が始まろうとしていたのだが、
それが突如、泡と消えそうな状況になってしまった。

人は生きていると希望を持ち、
そして、それが失敗すると、
(失敗すること自体はよくあることなのだが、)
しかし、どこかで「こうだったらよかったのに」と思ってしまう。
そこで完結しないで、いつまでも引きずってしまうのだ。

それを人は「後悔(Kukkucca[クックッチャ])」と呼ぶのだろう。

 

仏教を一言で言うと?

今回の瞑想合宿で、
スマナサーラ長老は“タイトル”について語っていた。

人は必ず、タイトルでものを考える。

例えば、「今日、バス停に行った」ということがある。
しかし実際、これはタイトルに過ぎない。
実際はただ、「立った」「歩いた」「止まった」
ということがに起こっているだけだ。
もっと厳密に言えば、これすらもタイトルに過ぎず、
ただそのときの「膨らみ」「縮み」だけなんだ。

そういうお話だったと思う。

その中でも、人は自分が執着するタイトルにしがみつく。
「あのとき、ああすればよかった、こうすればよかった」と。

しかし、「あのとき」は存在していない。
「あのとき」は、一瞬一瞬、変化し続けているのだけれど、
それを凡夫は理解しないでいる。

人はそれぞれ、
自分の昔のタイトルを、
それが苦しいことであっても好んで選び、
そのときの自分が作ったことに、
いつまでも執着しつづけている。

本当にやっかいな動物である。

過去の苦しいことを思い出しては、自分を責めたり、
または、
「いや、そんなことはない。ちゃんとやったじゃないか」
と自分をなぐさめてみたりもする。

しかし、そんなことをしても、
この苦しみからは脱出できないんだ。

この脱出の方法は、
長老が法話の中で言われたことだが、
「仏教を一言で言うと、因果法則である」
ということである。

すべての原因は、結果となって現れ、
すべての結果は、原因となって現れる。

すべては輪廻の世界である。

この「後悔(Kukkucca[クックッチャ])」
を乗り越えるのは
因果法則を完全に理解するか、
または“タイトル”の中に無常を見つけられるか、
そのどちらかだ。

「長老インタビュー」も移り変わる

そういえば、今まで「長老インタビュー」と言っていた
合宿中の長老との面会の名称は、
「個人面談」と変わっていた、

その理由を聞くのを忘れていたが、
すべては移り変わっていく。

移り変わらず停滞しているのは、
この僕の中にある「我」という「概念」だけなのだ。

今日、谷口君というウェブを担当している人物が会社に来たが、
彼はどうしようもない、いい加減な奴である。

しかし、彼を見ていると、
見た感じは後悔していないように見える。

そして、彼のいいところは、
いつも前向きで陽気なところだ。

それを見ていると、
彼にも後悔があるはずなのだが、
人の後悔や問題は、個々によって違うし
谷口君にとっては、どうでもいいことなんだろう。

人間には、そもそも「我がない」のだから、
本当は後悔なんてものもない。

仏像・仏具がスリランカから、新刊が印刷所から届いた

そういえば合宿している間に
スリランカから直輸入の仏像や仏具が届いた。

10月の新刊も刷り上がっていた。

今回のブログのテーマとは
何も関係ないのだが、
ちょっとだけ宣伝したい気持ちになった。