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2019.10.25

社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)

日本人と外国人――スマナサーラ長老とネルケ無方の対談に向けて

スマナサーラ長老とネルケ無方さんの往復動画

12月17日の「サンガくらぶ」で。
スマナサーラ長老とネルケ無方さんに
対談をしてもらうことになった。

今、それに向けて、お二人の間で、
youtubeを使っての往復動画を
交互に投稿してもらっている。

 

[往復動画] サンガくらぶ『スリランカとドイツから見た日本仏教の現在』プレイベント

①ネルケ無方師 「初めて日本にきたときの印象」

 

②スマナサーラ長老 「はじめて日本に来たときの印象」

 

③ネルケ無方師 「日本で出会ったすごい人」

 

その動画の中で、
はじめて日本に来たときの感想を
それぞれに語ってもらっているんだけど、
それにあやかって僕も、
僕の体験から「外国人と日本人」を語ってみたい。

僕にとっての「外国人と日本人」

誰でもそうだと思うんだが、
何も好き好んで、
この極東の端っこの島国に、
生まれてきたわけではない。

(初期仏教では、
「自分で選んで生まれている」とは言っているが、
とりあえず僕にはその記憶はない)

僕がはじめて外国に行ったのは、
今から40年ぐらいの前のことだったと思う。

僕が青春時代を過ごした1960年~70年は
特にそうだったと言えるかもしれないが、
「外国人=アメリカ人」の時代だった思う。

そんな周りの影響もあって、
僕も当然、憧れた外国はアメリカだった。

スマナサーラ長老がビデオの中でいっているように、
「白人は偉くて、有色人種はただの人」ということが、
まさにその状況なのだったと思う。

これまたネルケさんがビデオで言っているが、
日本人は、ベートーベンの音楽は素晴らしいと思っているが、
日本古来の文化、言わば明治以前のものについては、
コンプレックスを抱いている。

サンフランシスコでのホームステイ

ともあれ、僕が最初に行ったところは
サンフランシスコの郊外だった、。
そこで1カ月間、ホームステイをした。

ホームステイ先の主の名は、
パット・ウィリアムズ。
よく今でもその名を憶えているもんだ。

彼は普通の消防士に過ぎないのに、
プールつきの家に住んでいた。

僕は、「カルフォルニアは火事も多いから、
消防士の給料も高いのだろう」と
勘ぐったりもした。

僕はそのプールで泳ぎ。
1歳ぐらいの娘のジェニファーも一緒に
みんなで過ごしたりした。

パットがふざけて、ジェニファーに
ビールをちょびっと飲ませていたの見て、
びっくりしたのを憶えている。

ともかく、ウィリアムズ一家は、
とてもよい家族だった。

思うにアメリカ人は、
外面がすごくいいんだろうと思う。

すぐ笑顔で握手を求めてきたりする。

ニューヨークでの語学留学

その次に行ったのは、ニューヨーク。
短期の語学留学をしたときだ。
そこの寮には3カ月間住んでいたのだ。

当時、僕は、
「ニューヨークだったら、
日本人は少ないんじゃないかな」
と思ってそこを選んだのだが、
そんなことはなく、けっこう日本人もいた。

あとは南米人とヨーロッパ人が同じ数だけいて、
全員で150人ぐらいの留学生が寮に住んでいた。

そこで見たのは、
国ごとにみんな固まっているということだ。
チリ人がチリ人でグループをつくって、
そのグループでたむろっている。

僕はそれを当時、
「だんごになる」と言っていた。

僕はそれが嫌で、
なるべく日本人には、
こちらからはアプローチせず、
日本人とも英語でしゃべっていた。

よっぽど嫌な奴と思われていたかもしれない。

僕は日本人だけが団子になる民族かと思っていたけど、
いやいや、そんなことはなく、
外国人だってみんな団子になっている。

しかし、しばらく経つと、
外国人を選んで接するのも、
飽きてしまって、やめたのを憶えている。

日本人にもいろいろな性格の奴がいるように、
外国人にもいろいろな性格の奴がいて、
それも、まったく理解できないわけはなく、
「日本人にもこういう性格の奴、いるよな」
と思える感じだった。

要は、人それぞれ、
相手と対するときの壁の高さや厚さが、
違うんだろうと思う。

必要以上に硬くなる日本人

スマナサーラ長老も、ネルケさんも、
日本語を流暢に話す二人だ。

日本人は第一印象から、どうしても硬くなり、
取り繕い過ぎてしまうんだと思う。

そのせいで、必要以上に気を遣ったり、
無駄に笑顔を振りまいたりする。

そのせいで、日本にいる日本人は、
外国人、特に白人に対しては
へつらう感じになってしまうんだと思う。

 

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第66回サンガくらぶ