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2018.12.21

社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)

親切

クリスマスの季節に聴く吉田拓郎

年末になると、
なぜか僕は、漢字が懐かしくなる。

それはきっと、このクリスマスの時期に躍る
「Merry Christmas」という文字への、
僕なりの反動かもしれない。

僕は吉田拓郎が大好きなので、
「親切」という
二つの漢字が浮かんでいる。

「親切」は吉田拓郎の曲名だ。

 

親切な若者であふれる御茶ノ水駅

御茶ノ水駅には、
(来年の春には完成するみたいだが)
いまだにエレベーターもエスカレーターもないので、
おじさんが大きなスーツケースを持って、
ガタゴト音をたてながら階段を上がってきた、

すごく重そうである。

僕はおじさんとすれ違い
何気なく階段を降りていったら、
下にいた3人の男子が話しているのが分かった。

「え、ここ、エレベーターないんだっけ?」

僕は「ないよ」と、心の中で答えた。

3人は階段を上がって行って
そのおじさんの荷物を運んでいた、

また別な日だが、
ホームでうずくまっているおばさんを
若い女性が介護していた。

そのときも、僕はただ、黙って見ていた。

なんでみんな、こんなに親切なんだろう?

親切は、けっして人に言われてやるものではない。

たぶん親切をすると、
自分が気持ちいいんだろうと思う。

親切のタイミングと言い訳

親切をするときは、タイミングが大事だと思う。
よけいな感情や妄想で、立ち止まって考えてしまうと、
親切する機会は、もうとっくに遠ざかってしまっている。
その機会は一瞬のことで、
すべては決まってしまっている。

「この人はちょっと困っているように見えるけど、
自力で何とかなるだろう」とか、
「子供たちに席を譲らないのは、
かえって立っていたほうが、子供たちの健康にいいからだ」と、
たいてい自分で理由をつけてしまっている。

たとえば、
「僕はいますごく疲れているから、座っていていいんだ」
などと理由をつけていると、それが高じてしまったとき、
「自分はこの人たちよりも価値ある存在だから、
自分で自分に親切にしても、何がわるいんだ」と、
どんどん差別のほうに向かってしまう。

まさに、自我を増長させる行為だ。

その自我の暴走を止める手立てとして、
「慈悲の瞑想」がある。

慈悲を育てるアプリの開発

「慈悲の瞑想」は、読みかえれば、
「自我の生滅」と、それによる
「無差別・平等」への道筋なんだと思う。

ちなみに、今、サンガでは、
スマホアプリ「スマナサーラ長老のお経と瞑想タイマー」を
制作している。
1月には発売する予定だ。

親切は、いつでも、どこでも、誰に対しても出来る。
なおかつ、相手の「ありがとう」も聞ける。
しかも、副作用がない。

たぶん人間だけに備わっている、
素晴らしいものだ。

年末だし、少しは僕も、人に親切にしようかな。

なんて思ったりする。