社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)
道徳
状況よって変わる僕らの振る舞い
たとえば、道端で、
誰も見ていないので、
ごみを捨てる。
また、違うときには、
同じことをしても、
なんとなく後ろ髪をひかれる気がして
そのごみを拾いに戻ったりもする。
または、けっこう仲がいい友だちなのに、
周囲に人がいると、
その友人の気持ちも分かっているのに、
別に自分が不利にならないからということで、
そいつの気持ちを無視してしまったりする。
または、その逆もある。
また、それを言えば、
自分が不利になるのが分かっていても、
また言う義務もないのだけれど、
おせっかいでわざわざそいつの弁護に回ったりもする。
電車内での日常を観察する
このあいだ、電車にのっていると
おばあちゃんが3人席のそばで、
手すりに寄りかかって立っていた
すぐそばで座っている女子高生は、
明らかにそのおばあちゃんに気づいていたのだが、
席を立つそぶりも見せない
それを立って見ていた僕は、
「譲ってやればいいのに」と内心思ったが、
いや、自分だって、疲れてやっと席に座れたときなんかは、
もう席を譲るなんて気持ちは隠して、
知らんぷりを決め込んだりを、
ずいぶんしているなあと思った。
次の駅で女子高校生は降り、
すると男が、その席にスッと座った。
そのとき、誰かが僕の手をトントンとつついて、
「バッグのチャックが開いてますよ」と言って、
バックのチャックを閉めてくれた。
それはたぶん20代前半の女の子2人組みで、
僕はお礼を言い、次の御茶ノ水駅で降りた。
すると、立っていたおばあちゃんも御茶ノ水駅で降りた。
道徳とは何か?
思うに道徳とは、
マナーとかルールとは違い、
明らかに自発的にするものだと思う。
今回のサンガの8月の新刊
『道徳ロボット』(アルボムッレ・スマナサーラ[著])でも、
スマナサーラ長老は
「決まりを守ることが道徳ではない」(『道徳ロボット』p51 小見出し)
「道徳を決めるのはあなた」(『道徳ロボット』p54 小見出し)
といったことを語っている。
つまり道徳というのは、
上から目線で言うものではないということだ。
ジレンマを解決する智慧
また、この本の中で問題にされているが、
道徳も社会性をもつとき、
どうしてもそこにジレンマが生じる。
いわば、トロッコ問題。
線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。
このままでは前方で作業中だった五人が
猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。
A氏がトロッコの進路を切り替えれば五人は確実に助かる。
しかしその別路線でもB氏が一人で作業しており、
五人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。
A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?
なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。
また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。
あなたは道徳的に見て「許される」か、
「許されない」か、で答えるものとする。
つまり単純に「五人を助けるために他の一人を殺してもよいか」という問題である。
(『道徳ロボット』p92)
これを読んでいて僕は、禅の公案を思い出した。
「隻手の音声」
(片手の音を聞け)、
「父母未生以前に於ける、本来の面目如何」
(父母が生まれる以前の自分とは何か?)
これらは、
「解決不能の論理の中で、解決はあるのか?」
という問いである。
そこでスマナサーラ長老が強調されているのが、
「第三の道」だ。
それはいわば、「智慧の道」なのである。
鄭雄一先生との対談
第三部では、スマナサーラ長老と鄭雄一先生の対談になっている。
そこで僕がまず驚いたのは、
鄭先生の博学で深遠な知識だ。
そして、スマナサーラ長老の以下の発言もすごい。
スマナサーラ:
進化で生き残るのは強者です。
強者には残酷な強者もいますが、
条件やら状況を勉強・理解して、
そこでどう進めるのかと見極める強者もいるのです。
二方向の人間性が考えられますね。
相手を殺して生き残る人と、
相手を助けてあげて相手の悩みを消してあげて、
仲間にまわして生き残る人と。
(『道徳ロボット』p170)
いつも長老の智慧には驚かされる。