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2019.09.21

社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)

須藤比丘からスマナサーラ長老への質問

広島での慈悲の瞑想

「今回のこと」で、僕は数年前に
広島平和記念公園の慰霊碑の前で、
お経をあげ、慈悲の瞑想をあげ、
それから座る瞑想をしたことを思い出した。

これをセットでやると、だいたい1時間ちょっとかかる。
だから始めたときは、
まわりには誰もいなかったのだが、
そのうち、まわりに人が集まっているのがわかった。

それでも瞑想は続けたのだが、
僕は本心、けっこうびびってしまった。

「かっこ悪いんじゃないか」とか、
「まわりの人は僕を見ててどう思うのか」とか。

瞑想して座ってもいい場所だと思うのだが、
でも普通、そこで瞑想はしないだろう。

「今回のこと」とは、
日本人比丘で沖縄在住の教育者でもある須藤さんからの電話を
五十嵐が受け、相談にのったことからはじまった。

 


〔インドツアーに参加された須藤比丘〕

日本で、テーラワーダの袈裟を着る難しさ

その内容はこうだった。

 

日本で、テーラワーダの袈裟を着て活動することが、なかなか大変です。
沖縄で子供向けに講座をもっているのですが、
「ちょっと変なかっこうで子供たちと接するのはやめてほしい」
という意見を、偉い上の上司経由で届き、挫折しそうです。
お坊さんの袈裟なので脱がなくてよいとは思うのですが、
日本は不寛容なところがあるので、何か良い方法はないでしょうか。
ぜひスマナサーラ長老に聞いていただけないでしょうか?

 

その日はちょうど、サンガくらぶで、
スマナサーラ長老を講師にお迎えし、
「仏教から見たお金の話」を開催する日だった。

そこで僕はすぐ、
「今回の社長ブログのテーマにしよう」と考えて、
サンガくらぶの最後に、長老に質問することにした。

そのサンガくらぶが始まる前に、
僕は長老の答えを予測してみた。
その予測は
「外見はどうでもいいのだから、
中身がしっかりしてれば、
別に洋服を着てもいいではないか」
だった。

しかし、長老の答えは違っていた。

 

三帰依の力が自信になる

長老の答えは、こうだった。

「信」があれば、人にそれは伝わるものなんですよ。
「信」が足りないから、それが人にも伝わってしまうんです。
私なんかそんなこと、どこでも、一度も言われたことがない。

その答えに僕は、偉く感動してしまった、。

普通でも人は、
自信があるときは、自信があるように振舞うことができる。
そして寛容になり、気持ちは明るくなるものだ。

自信がないときは、
行動や考え、すべてにぎこちなく、
不寛容になり、心が狭くなり、怒りを持つものだ。

僕は三帰依の大切さを、まざまざと思わされた。
そういえば、佐々井秀嶺さんも、いつでもどこでも袈裟を着ている。

その姿が人々につたわり、
仏教は広がっていくんだな、と思った。