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2019読書の秋「サンガ編集部からのおススメ本3」
読書の秋
今回は、編集長・佐藤と編集部・川島からのおススメ本です。
『観察――「生きる」という謎を解く鍵』佐藤推薦(編集長)

アルボムッレ・スマナサーラ/想田和弘[著]
今回、私がお勧めしたい書籍は『観察――「生きる」という謎を解く鍵』です。本書はアルボムッレ・スマナサーラ長老と映画作家の想田和弘監督の対談書です。
想田監督は「観察映画」の第一人者です。観察映画というのは、「事前のリサーチ・打ち合わせや台本なし、ナレーション、説明テロップ、音楽も使わずに、起こっている現実にありのままに向き合い、作品を作っていく」というものです。
「観察」という言葉を聞くと、やはり「観察瞑想=ヴィパッサナー瞑想」を思い出しますね。
想田監督は『怒らないこと』などスマナサーラ長老の著書の愛読者でした。ただ、最初の対談のときは、ヴィパッサナー瞑想はまだ経験したことがなかったそうです。その対談は2016年に行われ、本書の第一部に収録されています。
しかし、対談はそれだけでは終わらず、2回目の対談が2017年にも行われたのですが、1年の間に、想田監督はニューヨークで瞑想を体験してきたというのです。
さらに2回目の対談時には、想田監督は、スマナサーラ長老から直接瞑想指導を受け、本書にも「[特別レポート]瞑想指導を観察する」として想田監督のレポート記事が掲載されています。
瞑想を経験する前と後で、想田監督はどのような違いを感じたのか? またスマナサーラ長老の指導をどのように受け取ったのか? 「観察映画の第一人者が、観察瞑想を観察する」という、貴重な出来事がこの書籍にまとめられています。
本書は、「私たちがストーリーにどのように向き合ったらよいか」という問題を、観察映画と観察瞑想、両方の側面から光をあてることに成功した、貴重な作品です。消費社会の中で、「ストーリー」はもてはやされるものです。たとえば、映画でも小説でも、人々の心を高揚させるのは、ストーリーの力です。しかし、そのストーリーは、私たちの自我を過剰に回転させ、悩みや苦しみを作るエネルギーにもなっています。
想田監督は、ストーリーが求められがちな映画作家でありながら、ドキュメンタリー作品にストーリーを持ち込むことに異議を唱え、観察映画として実行してきました。その想田監督の個性をスマナサーラ長老がしっかり受け取り、対談や瞑想指導で、観察がもつ意義の深みへと連れていってくれるのです。
スマナサーラ長老は本書の「あとがき」で、その意義を、短い言葉でズバリとまとめてくださっています。
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ストーリーとは現実ではなく、出来事にたずさわった人々の主観的な感想なのです。決して当てにならないものです。しかし、人類は自分自身が作ったストーリーの中にはまっていて、そこから抜けられなくなっています。人類は、主観であり妄想にすぎないストーリーに支配されているのです。想田監督との対談を通して、「観察はするが、ストーリーを編み込まない」という境地にいたれば、そこに本物の自由が実現するのではないか、というポイントを勉強することができました。
『観察』(326ページ)
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読書の秋に、ぜひ『観察』をお読みになってみてださい。また想田監督の監察映画作品をご覧になるのも、貴重な体験になると思います。
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『禅とハードル』川島推薦(編集部)
来年はオリンピックが日本で開催されるとのことで、何かとかまびすしい。JRなどに乗っていると協賛スポンサーのCMなんぞが流れてきたりして、いやおうなしにオリンピック気分をあおられまくって空中浮遊の一つもしてしまいそうな勢いである。多分難易度Iも超えているな。とまれ各人各様、いろいろと複雑な思いを抱く今日この頃ですが、サンガでもオリンピックに関係しそうな本があったので、ご紹介。
為末大さん。トラック種目の世界大会のメダルを日本人で初めて獲得したひとでしかも2つ。さらには400メートルハードルの日本記録保持者である。オリンピックにも三大会連続出場。
この為末さんが、禅に興味があるしかも恐山の南直哉さんに興味があるという話を聞きつけて、実現させたのがこの本である。
走る哲学者の異名をとる為末さんが、禅僧いち言語が鋭いに違いない南さん(昨年は小林秀雄賞を受賞、おめでとうございます!)との対談である。ゾーンの体験や人間とシステムの関係など、話は多岐にわたる。
この中でオリンピックの話が出てくるので、一部ご紹介しましょう。
「為末 僕らが存在している理由を作るために、あるシステムが作り出されているとするならば、オリンピックは、僕らのようなアスリートにとって、「なぜ走るのか」ということに対してわかりやすく意味を持たせてくれるシステムなわけですよね。そこにはおっしゃる通り、メダルを獲る人間と獲れない人間という差が生まれている。その差があるからシステムが成り立っているとわかっていても、やはり誰もが、メダルを獲れる側の人間になろうと思って日々厳しいトレーニングを行っているわけです。でも実は僕は以前、日本代表ジュニアの選手たちに話をしたことがあるんです。そのときジュニアの選手たちは40人くらいいたんですが、その中でオリンピックに行けるのは、確率的にはたった1人だけなんですね。でもそう言ったらみんなポカーンとしちゃってて、僕もびっくりしたんです。冷静に統計出したらどうしたってそうなってしまうんだけど、感覚的には2人に1人はオリンピックに行けるような感じにしておかないと、みんな頑張って続けられないんですね。一般の社会でも基本同じなんでしょうけど、スポーツの世界はもっとそのへんシビアだから、余計になんとなく曖昧にしておかないといけない感じがあります。
南 オリンピックというシステムを維持するためにはそこは曖昧にしておかなくてはならない部分なんでしょうけど、個人の実存の問題に関しては、その幻想はあまり役には立たないですよね。だけど人間はシステムの中でしか個人として生きられない。そこが難しいところです。今の社会で問題なのは、その個人が認められるためのシステムが、極めて単純で種類も少なくなってしまっていることです。
為末 ああ、それはとても感じますね。僕は最近よく考えてしまうのですが、少し前の事件で、秋葉原で通り魔的に大量殺人をした加藤智大被告(2013年1月現在最高裁に上告中)という人物がいましたよね。ああいうタイプの犯罪というのは昔からありますけれど。
南 ああ、あの人は悲しいですね。彼はあの殺人で「認められたかった」んでしょうね。
為末 そう思います。そして、彼のようなタイプって、僕も含むアスリートには結構いるんじゃないのかなと感じるんです。アスリートの場合はいちおうは速く走るとか、プラスの面で発揮する自己顕示欲であり、野心なわけですが、彼の場合のように、マイナスの方向に現れてしまう場合もある。自分の存在に何かしら不安があって、それを証明したり認識させたいということがすごく大きな目的になっているタイプですね。逆にいえば、自分が何かしらの形で価値があると証明されないと不安だから、頑張って証明していこうとするという。何かしら人に抜きんでた才能があって、その自己顕示欲がすごくストイックな形で働いていくアスリートは多いのですが、そういう選手の中にも加藤被告的なものが何か混じっているような気がしてならないです。僕自身も、陸上を始めたころは、とにかく世の中に認められて、自分の名を広めるんだ、と思っていましたしね。なぜそう思うかというと、不安だったからだと思います。不安が、走っている間は埋められている感じがしたんですね。でも加藤被告はおそらくスポーツの才能もなかったし、何かしら世界に顕示できる才能が見つけられなくて、どんどん内側に入っていってしまったんじゃないか
と……。南 それはもうアスリートだけの問題じゃなく、人間の根源的な問題でしょうね。」
(本書pp. 090-091)
オリンピックのはなしから秋葉原の事件に連関していくあたりに、為末さんという人の思索がうかがえ、信頼感を覚えるのである。そういえば、宮藤官九郎のNHK大河ドラマ『いだてん』の前半の主人公は演じたのは中村勘九郎だが、風貌と声質がちょっと為末さんに似ている。意識したのか? 関係ないか。
(編集・川島)
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『禅とハードル』への執着
為末さんとの接点は、ツイッター上で南さんの『老師と少年』を愛読しているの発見したところから、
まずサンガジャパンで「ゾーンや瞑想」についてインタビューし、
そして次のステップで、本書の企画を相談し、話がトントン拍子に進みました。
お二人の対談の現場・恐山には、「編集・川島」、「ライター・Iさん」そして、
「企画・五十嵐」が参加できるかなとちょっぴり期待したのですが、
社長が参加しました。
行きたかったなと過去を振り返るのは執着です。今を大切に。反省。
(五十嵐)