社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)
Missing Piece ――失われしもの
想田和弘監督との出会い
初めて想田和弘監督と会ったのは、
2008年、サンガの五十嵐と一緒に
渋谷のイメージフォーラムへ
『精神』の上映会に行ったときだった。
試写会が終わったあと、
想田監督を交え、3人でしばらく話をした。
想田監督はそのとき、
「ドキュメンタリーフィルムを作っていると、
たとえば13年蝉をテーマに撮影するとき、
たいして大量発生していないのに、
『いかにも大量発生しているように撮ってくれ』と言われる」
と話していた。
つまり、やらせである。
そのとき想田監督は、
「事前にストーリーを作らずにカメラをまわす」
という観察映画の原点を、僕たちに話してくれたのだと思う。
大盛況だったサンガくらぶ
昨日(2018年4月19日)のサンガくらぶ
『「慈悲の瞑想」を観察する』は
大いに盛りあがった。
特に、スマナナサーラ長老に対する、
想田監督の素直で率直な
ニューヨーク仕込みのツッコミ(質問)は歯切れよく、
聴衆を飽きさせなかった。
長老の慈悲についての解説におけるキーワードは
「Missing Piece」だった。
僕は何度もこのお経を思い出した。
歓喜の言葉
無数の生涯にわたり、あてどなく輪廻をさまよってきた、
―――――家の作者を探し求めて。
更に更にと、生まれ変わるのは苦しいことである。家の作者(渇愛)よ、汝の正体は見られたり。
汝が家屋を作ることはもはやあるまい。
汝の梁(煩悩)はことごとく折れ、
家の屋根(無明)は壊れてしまった。
形成するはたらき(行)から心は離れ、
渇愛を滅ぼし尽くした。(法句経 153,154偈)
つまり長老は、「Missing Piece」というキーワードを用いながら、
「渇愛」について語っていたのだと思う。
その渇愛をなくす唯一の手段が、「慈悲」なのだ。
僕は毎日、携帯バージョンの「慈悲の瞑想」をしているけれど、
それで渇愛がなくなったことはない。
まだまだである。
スマナサーラ長老の映画評論
川島が言っていたが、
長老の映画評論は、すごくユニークで非常に面白いという
映画に対する洞察がすごくシャープで、すごいと。
たしかに僕もそう思う。
二人の立場の違う観察者による対談は、まさか
こんなに盛り上がるとは思わなかった。
ぜひ今後も、二人の接点を見出し続けて、
『観察2』を出版するのも、ありなんじゃないだろうか。
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本講演会のテーマとなった「慈悲の瞑想」について解説されいるのはコチラです。