最近、評論家の宮崎哲弥氏が、好著を出版されました。『仏教論争――「縁起」から本質を問う』(ちくま新書、2018年)です。
百五十年近い歴史を持つ日本の仏教学界における縁起理解について、特に碩学たちの論争史が解説されています。その中で、私が気になった以下の三点を取り上げてみたいと思います。
①一つは、縁起の同時/異時の問題です(宮崎p.53~)。
「此縁性idapaccayatā(これに縁って【注1】ということ)」と「(十二)縁起支」がこれに絡みます。
②二つ目は、縁起と無常の関係の問題です(同p.188~)。
「縁=条件」がこれに絡みます。「運動」や「空間」の問題も出てきます。
③三つ目は、仏教(学)に対する向き合い方の問題です(同p.288~)。これは宮崎氏ご本人の姿勢でもあるようですが、日本の仏教学界になんとなく根強くあるように見えます。
以上の三点は、日本の仏教学界だけでなく、仏教をも静的に捉えがちな東アジアの漢訳仏教文化の問題に淵源しているのではないかと感じます。一つずつ、内容を見ながら問題を解決するための提案をしてみます。
釈尊が説かれた縁起は、無明から生、そして老死に至る十二支から成る十二因縁に示されるように、特に心身という現象が生滅を繰り返す絶え間ない因果関係を説明するものです。因果関係ですから、原因と結果は必然的に異時に起こるのではないかと、従来は考えられてきました。その一方、特に近代日本の仏教学界で因と果の「関係」をクローズアップして、因も果も同時に、相互に相依って、つまり「相依して」関係づけられて成り立っているのではないかと考える主張も出てきました【注2】。
しかし、縁起を同時的・相依的に見るということは、因と果が同時に並び立つことになります。この場合は、因果関係というよりむしろ、後に発展した条件付け、つまり相互に「縁」となっている関係と見るべきではないかと思います。しかし、「縁」は因果とは言えないのではないでしょうか。
縁起を「同時」的相互関係と見る説の代表は、宮崎氏が挙げておられるように『相応部』経典の「蘆束経」でしょう【注3】。そこでは最初の無明と行を除く十支の因縁を老死から遡って説き明かす中で、最後に名色は識に縁ってある、一方、識は名色に縁ってある、と、名色と識が相互関係にあるように説かれ、さらにその意味が、二つの蘆の束が互いに相依って立つ状態に譬えられています。まず原文を見ましょう。
友コッティタよ、名色は自作にあらず。名色は他作にあらず。名色は自作にして他作なるにもあらず。名色は自作にあらず他作にあらず無因にして生じるにもあらず。識に縁って名色ありna kho āvuso Koṭṭhita sayaṃkataṃ nāmarūpaṃ na paraṃkataṃ nāmarūpaṃ na sayaṃkatañca paraṃkatañca nāmarūpaṃ na pi asayaṃkāram aparaṃkāraṃ adhicca samuppannaṃ nāmarūpam api ca viññāṇapaccayā nāmarūpan ti.……
友コッティタよ、識は自作にあらず。識は他作にあらず。識は自作にして他作なるにもあらず。識は自作にあらず他作にあらず無因にして生じるにもあらず。名色に縁って識あり。……
たとえば、友よ、二つの蘆の束がお互いに他に縁って立つがごとし。まさにかくのごとく、友よ、名色に縁って識あり。識に縁って名色あり。名色に縁って六処あり。六処によって触ありSeyyathāpi āvuso dve naḷakalāpiyo aññam aññam nissāya tiṭṭheyyuṃ. Evam eva kho āvuso nāmarūpapaccayā viññāṇam viññānapaccayā nāmarūpam. Nāmarūpapaccayā saḷāyatanaṃ. Saḷāyatanapaccayā phasso. (SN II 114)
ここで譬えに挙げられているのは、二つの蘆の束です。束になっても蘆なので単独では立てません。二つの蘆束が相依り合うことによってはじめて立つので、ここで言われる縁起とは、二つの要素が「同時」に「相互に依存」しつつ成り立つことを指すのではないかと考えられたようです。
しかし、譬えのもとになっている識と名色は、二つの別のものなのでしょうか。二つの別のものと考えてしまうと、縁起を因果ではなく「縁」の関係と捉えてしまう根本的な間違いに陥るように思えます。
じつは、縁起が同時/相依関係ではないかと見る主張で例示されるのは、「長・短」(『仏教論争』p.55)であったり、ビリヤードの「手玉・的球」(同p.58)であったり、父と子の関係(同p.64)であったりなのですが、これらはいずれも二つの別のものです。「長・短」なんか、ものでさえなく、ただの概念です。二つ以上の別のもの同士を比較しなければ、表れもしないでしょう。二つの別のものならば、それぞれ関係があっても、それは因果の関係ではありません。「縁=条件」です。「縁=条件」は、言葉は因果の縁起と同じ「縁」なのですが、意味は別ものです。
因果とは、現象の絶え間ない生滅の連続です。釈尊はこれを「縁起」と表現しています。「因果hetu=phala」という表現はパーリ聖典にはおよそ見られません【注4】。しかも、パーリ聖典ではほとんどの場合、因と果は別々に使われます。そのうえ、因が頻繁に使われる一方、果phalaは、ほぼ沙門果の意味でのみ使われています【注5】。悟りを示す沙門果は、一旦その果報に達すれば二度と退転しないので結果・ゴールの意味の「果」と呼ぶに相応しいのでしょう。つまり、一つ一つの因果関係を固定的に示すような誤解に堕しかねない「因果」特に「果」という表現をなるべく避けて、絶え間ない因果の連続のことを、わざわざ「縁起(縁って起こること)」と表現したと考えられます。
後のアビダルマ哲学では、果を生じる直接の因と別に間接的な条件「縁paccaya」という外部の要素もさまざまに論じられるようになりました。その場合でも、「縁起」とは、絶え間なく生滅する諸現象の因果の連続です。「縁起」の「縁・縁ってpaṭicca(paccayā)」とは、因果の関係を示しているのです。後に因から分立した「縁=条件paccaya」も同じ言葉を用いているのでややこしいです。釈尊が言葉を工夫してつくった「此縁性idapaccayatā」のpaccayaも、名詞的な、後にアビダルマで独立して用いられるようになった「縁=条件」の意味ではなく、paṭiccaと同じく動詞の連続体「縁ってpaccayā」の意味で捉えてほしいのです。縁起を因果というならば、paccaya(paccayā)は因なのです。縁ではないのです。
さて、ここで譬えに出された二つの蘆束は、それぞれ別々の因果で成り立っている別々の蘆束です。両者が相依って立つのは、因果関係によるものではなくお互いに他者の「縁」になっているのです。しかし、縁起は「縁」の関係ではなく因果関係です。二つの蘆束をお互いの「縁」と見るならば、それは「同時の縁起」を意味するのではなく、「同時に(他者同士がお互いに)縁=条件になっている」と言うしかありません。これでは縁起の説明ではなく「お互いさま・おかげさま」などの「ご縁」の説明になってしまうでしょう。蘆束はあくまで譬えとして、厳密な縁起の考証のためには、ちょっと措いておきましょう。
識と名色は、お互いに相手に「縁ってpaccayā」あると示されていました。この場合、識と名色は同時に存在すると言えるのでしょうか。あるいは、因果関係がときに逆転するということでしょうか。
十二因縁で「識に縁って名色ありviññāṇapaccayā nāmarūpaṃ」と示される場合は、少なくとも同時と見られることはないでしょう。しかしその因果関係が逆になるかのように「名色に縁って識あり」とも言われるのはどういうことでしょうか。
これは、ここでは十二因縁の説明が根本の無明と行にまで遡らずに識と名色の二支の間で止まっていることと関係が深いと考えられます。三世の因果では過去世を表すと考えられる「無明」と「行」を除いて、今世においては、識が「私」という諸現象・諸煩悩の根本になります。一方、「名色」、つまり色(物質)と名(受、想、思、触、作意すなわち受、想、行【注6】)からなる、明確な認識をしなくても「いる」と分かる「感覚を持つこの身体」は、識に縁って活動するのです。しかし、その識もまた永遠不滅のアートマンではありません。識も絶えず生滅変化を続ける現象です。
では、識が縁って起こるその「因」は、何でしょうか。十二因縁の順番では「行」とも言えますが、今ここで識が縁っている因と言えば、名色(心身・感覚を持つこの身体)とも言えるでしょう。この心身に縁って、識が生じるのです。もちろん、その心身=名色もまた、識に縁って生じるのです。こうして、色、受、想、行、識の五蘊が成り立ちます。
自分の心身というか、心と身体を観察してみればなんとなく分かるのではないでしょうか。名色とは、生きている身体のことです。識(心)が瞬間ごとに生滅を繰り返しながら、名色を支えています。一方、名色もまた、瞬時に生滅を繰り返しながら、識(心)を支えているのです。そうやって、「私」という身体をもつ生命すなわち五蘊が生き続けているのです。
こうして見ると、識と名色がお互いに「縁って」あるのは、二つの別のものがお互いに「同時」に「縁」になっているのではないと理解できるでしょう。瞬時に生滅を続ける識と名色(五蘊)が、お互いに目まぐるしく因となり果となり、「識に縁って名色」となり、また「名色に縁って識」ともなるのです。因果が逆転しているのではなく、縁起とは因果の連続だから、一つの現象がそのまま次の現象の因となって絶え間なく続いているのです。ですから、蘆束の喩えがあるといっても、識と名色の相互の縁起を同時/相依関係と言うことはできません。
では、識と名色がお互いに「縁って生じる」その仕方は「異時」なのでしょうか。
名色と識の縁起(因果)関係は、先の対話の中に示されていました。まず、識も名色も、自分から生じるsayaṃkataṃのではありません。つまり「名色に縁って名色あり」でもなく「識に縁って識あり」でもありません。自分から生じるのでは自家撞着になってしまうので、これは理解しやすいでしょう。
次に、識も名色も他から生じるparaṃkataṃのではないとも言われます。それならば、「識に縁って名色あり」も「名色に縁って識あり」も、それぞれ「他から生じ」ているのではないということです。
識と名色が「自」すなわち同じものから生じるのでないのは分かるとしても、「他」から生じるのでもないとはどういうことでしょうか。何かが自からも他からも生じず、しかも何か「に縁って」生じるとは、いったい何を意味するのでしょうか。
ここで、「縁起」とは「同時」に生じることではないだけでなく、「異時」に生じるとも言えなくなるのです。
時間的な同時・異時の問題は、そのまま現象の生・滅の問題でもあるのですが、論理的に厳密に説明しようとするならば、時間が実在するのではないこと、そして、現象の生・滅が時間的に同時・異時で語れるものではないことが分かるのではないでしょうか。こういう釈尊の論理を最も厳密に受け継いだのは、龍樹の『中論』ではないでしょうか。第二十章「因果」と第二十一章「成壊(生滅)」の考察で、因と果が、さらには生と滅が、時間的に同時であることも異時であることも成り立たないと、さまざまに論破しています。「同時」では、因の中にすでに果があることになり、生の中にすでに滅があることになってしまうので成り立ちません。因も果も同時に存在するなら、釈尊の言葉では常住論ということでしょうか。一方、「異時」ならば、「すでに滅してしまったものがどうして他のものを生じさせることができようか」と論破されてしまうので、縁起を異時と言うこともできません。前の現象はもう終わってすでにないので、後の現象との因果関係があるわけがないのです。釈尊の言葉では断滅論ということでしょう。
縁起が同時でも異時でもなければ、現象はどのように縁起しているのでしょうか。
西に目を転ずれば、紀元前四世紀、ギリシャのゼノンが「飛ぶ矢は飛ばない」などのパラドックスによって「運動」を否定したと言われます。「運動」には時間と空間(距離)が必要ですが、ゼノンのパラドックスは時間とは何か、空間とは何か、時間とか空間があると言えるのか、その矛盾を突いたと言えましょう。
龍樹もまた、仏教の諸行無常、つまり諸現象の刹那生滅の視点から、『中論』第二章「去来」で運動を、「成り立たない」と否定しています。現象はすべて瞬時に生滅するのだから、実体の継続的な空間・時間移動が必要な「運動」は成り立たないのです。これはそのまま、過去現在未来の「時間」を、そして運動に必要な「空間」をも成り立たないと斥けるものでもあります。実際、龍樹は『中論』第十九章で、時間を実在しないと斥けています。過去はすでになく、将来は未だない。現在は、現在時にあるはずの現象自体が、瞬時に生滅する性質で実体としてあるのではないのだから、現在時さえも、どんなに小さくコマ切れの「今」を捉えようとしても、捉えることはできない、成り立たないのです。我々が同時とか異時などと仮説している時間というものが、本当はないのです。
諸行無常と言われる諸現象の刹那生滅は、つまり、現象が「瞬時」に生滅しているのでもないのです。私もそう言ってきましたが、そういう言い方は、じつは不正確なのです。刹那は、本当は時間の単位ではありません。刹那という「時間の経過」をどれだけ小さく設定しようとしても、デデキントが百四十年も前に数字の無限性を明らかにしたように、無限に小さい単位を仮説できてしまうのです。つまり、実際には「現在時」の長さを計測することができないどころか、このくらいだろうと仮説することもできないのです。ただ、現象が刹那に生滅(縁起)しているその生滅の連続をなんとか認識して、「時間が経過した」と表現するしかできないのです。本当は、「時間が経過した」のではなく「現象の変化生滅がたくさん起こっている」のです。
釈尊が縁起を同時とも異時とも言わず、刹那性khaṇikaとだけ表現したのは、そのためだと思います。
「蘆束経」の記述に戻りましょう。三番目に、現象は自他の両者から生じるのでもないとされています。これは、先に自から生じるのも他から生じるのも共に否定されているので分かりやすいでしょう。
最後に、現象は自でもなく他でもなく無因にして生じるのでもないとされています。因果法則を認めない無因論は、仏教から見れば邪見の最たるものですから当然でしょう。
では、現象は、どうやって生まれるというのでしょうか。
前の現象「に縁ってpaṭicca, paccaya[ā]」生まれるのです。現象は刹那生滅を性質とするから、どの現象も「自」から生まれるとも「他」から生まれるとも言えません。「自」や「他」などという確固たる実体ではないからです。もちろん、過去のものとか現在のものなどという、実体を一瞬でも成り立たせる「時間」も、実体として成り立ちません。ゆえに、縁起を同時とも異時とも言うことはできないのです。
しかし、私たちも世界も、現にありありと活動しています。瞬時も留まれない現象たちが、滅しては生じ、滅しては生じ、必死で繰り返しているのです。そのぎりぎりの刹那生滅の連続を、因「に縁って」果が生じると釈尊は語り、それ以上を語らないのです。
しかし、同時/異時に関連してあえて「時間的に」縁起の仕方を語るなら、「同時でも異時でもなく無間にanantaraṃ」生滅すると表現するのが最適ではないでしょうか。もちろん、「無間」は因ではありません。後の上座部や説一切有部のアビダルマで因から分別して提示された縁の一つ「無間縁(等無間縁)」という「縁=条件」です。同時でも異時でもない縁起の絶え間ない連続を強いて「時間的に」表すには、「無間」が唯一可能な表現ではないかと思うのです。
「十二支縁起は異時の因果関係を示すとしても、『此縁性』は異時だけでなく同時の相依関係も含むのではないか」というのも誤解だと思います。
十二支で示される縁起は、「無明に縁って行」、「識に縁って名色」などと、現象が次々に移り変わるので、その因果関係に時間経過が含意されていると理解しやすいでしょう(実際には異時ではなく「無間」なのですが)。
一方、縁起の性質をまとめた公式のようないわゆる「此縁性idapaccayatā」では、以下のように、異時の因果も同時の相依関係も共に含意されているように見えます。
これあるとき、これあり。この生より、これ生ず。
これなきとき、これなし。この滅より、これ滅す。
Imasmiṃ sati, idam hoti. Imass’ uppādā idam uppajjati.
Imasmiṃ asati, idam na hoti. Isassa nirodhā, idam nirujjhati.
この四句の中、従来、「生ず/滅す」と語る方は異時と考えて間違いないとしても、「あり/なし」で語られる方は同時とも受け取れるのではないかと考えられていました。
しかし、これはじつは「生滅」のペアでも「有無」のペアでもありません。「何かの滅より他の何かが生ず」生滅ならば、なんとなく異時と考えてもよいのですが、ここで言われているのは、「滅より生ず」、「生より滅す」ではなく「生より生ず」、「滅より滅す」なのです。異時だと言えるでしょうか。
もう一つの「あるときあり」、「なきときなし」は、どうでしょうか。「これある(なき)『とき』これあり(なし)」なのです。「これ」が二つ並んでいますが、一つ目と二つ目は、「とき」で接続されるのです。同時と言えるのでしょうか。この、釈尊の絶妙なギリギリの言葉選びに感嘆してほしいのです。
「この生より、これ生ず」とか「この滅より、これ滅す」と言われるので、前文で生じたものや滅したものが、後文で生じるものや滅するものと、それぞれ何らかの関係があると示されているのです。時間的経過があるかないかはともかく。しかも、前文で何かが生じ、それと関連して後文で何か別のものが、もう生じるのです。滅する間もないほどのスピードです。滅するときも、前文で何かが滅し、それと関連して後文で、別の何かが滅するのです。生じる暇もないほどだと表現されているのです。
また、「これあるとき、これあり」とか「これなきとき、これなし」と言われるならば、前文の「これ」が後文の「これ」を条件付けているので、両者の間に何らかの関係が示されているということです。同時かどうかはともかく。もっと言えば、何か一つがある/ないとき、それに関連して、次の何かがある/ないのです。一つがあるとき、次はまだなく、一つがなくなってから、次があるなどというのんびりした関連ではありません。それでは異時で、前後の関係が途絶えてしまいます。もちろん、一つがあるのに次も同時にあるのでもありません。同時にあるなんて、龍樹に言わせれば、因中有果のパラドックスです。あるいは、二つの別のものになってしまい、因果=縁起の関係にはなりません。
以上のようなギリギリの因果関係を、釈尊はなんとか言葉に表して「此縁性」という公式にしたのです。異時とも同時とも言えない生滅の絶え間ない因果の連続を、ありもしない時間の話などせずに表現しているのです。同時はもとより、異時ではないかと考えること自体が、漢字を基につい実体的に考えてしまう、東アジア仏教が陥りやすい勘違いかもしれないのです。
この縁起の一つひとつの具体的な内容が、十二支に代表される一つひとつのペアだと言えるでしょう。
宮崎氏の『仏教論争』の中で私が気になった二つ目の問題は、縁起と無常の関係についてです。
縁起とは、現象の一つ一つが、隙間もなく絶え間なく生滅を繰り返す在り方ですから、それ自体が「現象の無常性」=「諸行無常」を表しているのは明らかです。しかし、宮崎氏によると、近現代の日本の仏教(学)界では、そう言えるのかと論争がおこなわれているようなのです(宮崎p.188~)。
しかしこれは、『仏教論争』を読む限り、日本の仏教(学)界(そして宮崎氏)が「無常」とは何か、そして「縁起」とは何かをあまり厳密に突き詰めないまま論じ、そのため議論が紛糾しているだけではないかと想像します。
まず、「無常」を論じる前に、「縁起」の理解がおかしなことになってしまっているのではないでしょうか。舟橋一哉先生の論を批判する三枝充悳先生の論とそれを良しとする宮崎氏の論を引いてみましょう。
「或るもの〔たとえばA〕は条件〔たとえばBまたはBC……〕によって成り立っているのであるから、条件〔BまたはBC……〕次第で、そのもの〔A〕はいかようにも変わる。
となる。これを論理的に整理すると〔便宜上、もの=A、条件=Bとする〕、
AはBによって成り立っているから、Bが変化すればAは当然変化する。
ということになる。またこの文章において、変化を無常といいかえれば、
AはBによって成り立っているから、Bが無常であればAは当然無常である。
ということになる」(『初期仏教の思想』下 レグルス文庫版)
一読すれば明らかだが、「変化」であれ「無常」であれ、事物Aと条件B(C……、以下略)との関係性を、つまり縁起を原因として生じたものではない。単にBに、延いてはAに外部から与えられたものに過ぎない。どうしてこの理路で「縁起の故に無常である」の説明が付いたと見做せるのだろうか。(宮崎p.190)
縁起とは、「無明に縁って行avijjā-paccayā sankhārā【注7】」のように、現象と現象の因果の法則です。因を「縁って」と表現するので「縁起」というだけで、「因果」の法則なのです。「此縁性idapaccayatā」というときも、「これに縁ってということ」と、因果の関係を「縁って」で表しています。
縁起とは、因果であって、「縁」ではないのです。因果と別に「縁」を立ててもいいのですが、その場合は、因果の生滅の連続の中にいつも様々な「縁」がはたらいているという程度の意味です。
それを、厳密な因→果の間に「縁」を挟んで因→縁→果みたいに考えてしまうと、どうなるでしょうか。先の引用文に見られるように、「縁」(B)は条件で、因(A)は事物で、事物Aが条件B次第でいろいろ変化する、という実体的な説明になってしまいがちです。
では、条件B次第では変化しないこともあるのでしょうか。条件B次第で「変化しない」こともあり得ると仮定すると、事物Aは無常でもないし、なんだか常住的な実体があるかのように感じられるのではないでしょうか。
宮崎氏は、梶山雄一先生と村上真完先生がこの問題を指摘したことも提示しています。私も両先生のご意見に賛同します。
「三枝氏は、さきに紹介したように、もしBが変化しないならばAも変化しない、と論じて舟橋氏の縁起→無常を否定したが、そこで用いている『変化しないB』とは実体以外の何物でもない」(梶山『縁起説論争――死にいたる病』前掲)(宮崎p.191)
また村上真完も、Bに関して「無常でない条件(つまり永遠不変な条件)という想定は、単なる想定、想像としては可能であるにしても、初期仏教の思考法の中には、あり得ないものと思われる」と三枝の前提に疑義を挟んでいる(『縁起説と無常説と多元論的分析的思考法(1)』「仏教研究」第29号)。(宮崎p.192)
そもそも、縁起=因果の法則を論じる際に「縁=条件」を別に立て、しかもそれが実体的な「因」に様々に作用したりしなかったり、ましてや「縁=条件」を実体的に想定することが間違いなのです。「縁=条件」がどのように作用してもしなくても、因が、刹那に生じて滅するのです。変化しないではいられないのです。つまり、無常なのです。それ自体も実体的だと誤解され得る「縁=条件B」を絶え間ない因果の連続の間に挟んでしまったことが、間違いなのです。
こういう間違いが起こるのは、漢字文化では言葉を文字で、静止画のように捉えてしまうからではないかと思います。パーリ語でさえ因果=縁起の縁と縁=条件の縁は、言葉は同じでした。それを漢文に翻訳するときは、まったく同じ「縁」です。その意味の違いを前後の文脈で読み取らなければいけないのですが、文字・絵としてみればまったく同じなので、大変です。仏教理解に誤解が生じる遠因は、インド諸語に対する漢文やそれに基づく日本語にあるのかもしれません。
刹那生滅する現象を実体的に見るからでしょう、以下のように「運動」や「空間」をも実体的に考えてしまう問題も出てきます。そして、おそらく原語に厳密でなく日本語的に思考したからでしょう、下線部分ですが、無常の意味を間違えています。
哲学者の永井均は仏教の無常の「概念」を批判して、次のようにいう。
「無常ということがしばしば説かれ、この世のすべてのものは生滅・変化して同一にとどまることがない、などと言われる。しかし、そもそも生滅や変化は何かが同一にとどまることを前提にして成り立つ概念である。たとえば運動(空間的位置の変化)であれば空間の同一性、不変性が前提となる、というように。この世のすべてのものが無常であるなどという教説はそもそも意味をなさない」(永井、藤田一照、山下良道『〈仏教3.0〉を哲学する』春秋社)(宮崎p.201下線は藤本)
変化や生滅を認めるためには、その前提として何らかの不変・同一の存在を認めないといけない、という論調のようです。つまり、変化・生滅≒無常とは、不変・同一と対比される相対的なものだという考えのようです。常住なるもののうえで、常住でないものだけが変化生滅する、ということなのでしょう。
その常住なるものとは、「空間」だそうです。でも空間って、常住でしょうか。それ以前に、空間とは「存在する」ものなのでしょうか。そもそも、どこからどこまでが「空間」でしょうか。「空間」を無理やり切り取れるとしても、地表の空間と上空四〇kmくらいの空間では、含まれる物質の密度も質量も物質自体も違います。真空のいわゆる宇宙空間さえ、空っぽの虚空ではありません。分子たちを全部取り除けた、実際には存在できない架空の「虚空」を「空間」と言っているのでしょうか。
そもそも、空間というものを想定するためには、ある空間をある空間から仕切る境界・壁が必要なのです。壁付きでないと空間を理解というか想定できないのに、その壁は無常で、壁で仕切ってもらった空間だけ常住でしょうか。
また、空間は不変・同一に一ヶ所にずっしりと留まっていません。本当はものすごいスピードで動いています。地球が自転し、しかも公転もしているのですから、本当なら目が回るほどの動きをしているのです。
おまけに、定常宇宙論の時代ならともかく、現代では、この宇宙は絶え間なく膨張し続けていることが分かっています。釈尊はもちろんご存じでした。宇宙を「膨張の劫」と「収縮の劫」が順次に繰り返すと表現しています。目に見えないだけで、感じ取れないだけで、空間も、その中にある物質たちも、この宇宙ではどんどん大きくなり続けているはずなのです。絶え間なく変化し続けているのです。仏教だけでなく現代科学でも、空間は到底、同一でもなく不変でもないのです。変化生滅し続ける現象なのです。
では、そういう空間を「移動」する「運動(空間的位置の変化)」は、成り立っているでしょうか。
仏教では、運動・移動も、厳密な意味では成り立たないと見ています。刹那に生滅を繰り返すのですから、移動・運動するどころではありません。移動・運動しているように見えるのはただの錯覚で、そう見えることこそが、絶え間ない変化生滅の連続の、証拠なのです。龍樹は『中論』の最初に挙げた有名な八不の一つで、運動を「成り立ちません」と、きれいに見破っています。
先に引用した『〈仏教3.0〉を哲学する』では、おまけに、無常の意味を取り違えていました。下線を引いた「この世のすべてのものは生滅・変化して、同一にとどまることがない」とか「この世のすべてのものが無常である」という「無常」論です。これが、仏教の無常論とどこが違うのか、お気づきになったでしょうか。
じつは『〈仏教3.0〉を哲学する』だけでなく、和辻哲郎先生も間違っているようです。「しかしながら『一切は無常である』との命題の示す意義そのものは果たして無常であろうか」(宮崎p.264)などとおっしゃっているのです。宮崎氏のまとめで見てみましょう。
和辻が示唆するように、“すべては無常である”と言明した場合、この命題自体は“すべて”に含まれるのか、換言すれば“すべては無常である”という立言自体は無常か、という問いは無論成り立つ。これは哲学において「相対主義のパラドックス」として知られる難問と構造的に同型である。
「相対主義のパラドックス」というのは、もし相対主義の中核的主張が「すべての存在は相対的である」だとするならば、その命題自体は相対的なのか、という問い立てをめぐるパラドックスだ。もし相対的でないとすれば「すべては相対的である」という当の命題が崩れるし、もし相対的であるとすれば、相対主義は絶対的なるものの存在可能性を含み込んでいることになり、やはり「すべての存在は相対的である」という全称命題は崩れてしまう。皮相的に推論すれば、このパラドックスは仏教の無常論にも当て嵌まるようにみえる。(宮崎p.265-66)
釈尊は、本当に「すべては無常だ」と言ったのでしょうか。哲学的に厳密に思考したい人々に後から「でも、それを言うなら、こうとも言えるんじゃない?」などと突っ込まれるようなパラドックスに陥るような、こんな不確かなことを、人類で最初に悟りを開いたブッダが言うなんて、あり得るでしょうか。この言葉が、伝聞か思い違いかで、ブッダの言葉とは違うものになってしまっているのではないでしょうか。
やはり、翻訳や人伝えの言葉を聞いて独断するのではなく、釈尊の言葉そのものにしっかりと向き合う必要があると思います。
釈尊はパーリ語でこうおっしゃったのです。「Sabbe(すべての)sankhārā【注7】(行[つくられ生じたもの]は)aniccā(無常です)」。これが「諸行無常」です。「※Sabbe(すべての)dhammā(ものごとは)aniccā(無常です)」という「※諸法無常」ではありません。「つくられたもの、生じたものは、すべて無常です」と、きちんと定義しているのです。つくられていないもの、生じていないものは、無常ではありません。ですから「諸行無常という真理」は、つくられたわけではないので、無常ではありません。原語に厳密に当たれば、簡単に解決することです。
ですから、以下のように悩んで、仏教を哲学や宗教みたいにしてしまわなくてもよいのです。
無常は、ただ私達の投げ込まれた状況であり、苦の根本因として現前しているだけだ。そして、その無常という危機的な時間を生きるしかない、という留保のない自覚こそが仏教の始まりである。従って「一切は無常である」という命題も、「一切は無常ではない」という命題も存在しない。ただ「一切は無常である」という危機的な自覚があるだけなのだ。かかる論証の要のない自覚を、もし信仰というのであれば、これはまさに信仰である。(宮崎p.267)
仏教は、宗教のように悩んだり救われたりするものではなく、哲学のように議論したり思考したりするものでもなく、ただ、事実をありのままに理解することなのです。理解すれば心も安らぎます。平安にも至ります。
宮崎氏の論で気になる点の三つ目は、仏教(学)に対する向き合い方の問題です。これは宮崎氏ご本人の姿勢でもあるようですが、日本の仏教学界になんとなく根強くあるように見える問題です。
宮崎氏ご自身も、まず、こう指摘しています。
だが、四諦、八正道の教義や止観の修法に限界を感じたという仏教学者たちは、本当に失望するほど初期仏教の教えや修道に精通していたのだろうか。パーリ聖典、ニカーヤ、阿含経典を熟読していただろうか。その瞑想実践である観行(ヴィパッサナー瞑想)、止行(サマタ瞑想)を十分に修していたか。大いに疑問だ。(宮崎p.288)
他のどの分野を理解するにも必要不可欠だと思いますが、仏教を理解するには、まず、仏教が説いていることを熟読し理解することが不可欠です。
そのうえで、読んで分かっただけではまだ「自分もできる」になっていませんので、経典に説かれているとおりにみずから止観の行を修行しなければなりません。
そして、宮崎氏はなぜかそれ以上を語りませんが、修行して、悟りという結果にまで到達しなければ、完全に「分かった。できた」とは言えません。そこまでできて、やっと仏教のプロだと言えるのです。
仏教学という学問の世界になると、実践修行の面がないがしろにされがちです。悟りのゴールなんて、学者は誰も知らないかもしれません。そこを文献読解や哲学的思索や信仰で補えば、仏教学としてはなんとなく形になります。現代の仏教学界は、そうなっていないでしょうか。宮崎氏のような外部の智の哲人が、そういう部分にメスを入れてほしいのでしょうが、いかがでしょうか。
本書第一章前半に「『縁起とは何か』をめぐって交わされた論争が仏教教理の歴史を駆動してきた、としても強ち的外れとはいえない」と書いた。だが、それは単なる討論、単なる討議に留まるものではなかった。ブッダの教説が大きく枉げられたり、正理を逸した解釈論が氾濫したり、仏説が衰退し地を掃おうとするとき、仏教徒は正道に復し、教えを再興するべくあえて争論に臨んだのである。(改行は藤本)
一再ならず確認したごとく、仏教ではブッダが発見し説義した「真理」といえども常住ではない。その永遠性は保証されていない。危機的であり、可滅的である。だからこそ、仏教者は仏教における正理とは何かを、実存のすべてをかけて探求し続けなければならないのだ。(宮崎p.299)
論争というか、論理を突き詰めることは、智慧の教えである仏教にとっては特に大事な要素だと思います。他の宗教の問題や現実社会の行き詰まりに、仏教の智慧で解決の道を見出すことは社会にとっても必要なことだと思います。
ただ、仏教徒や仏教学者同士の論争の中で、そもそもお互いに仏教教理をよく理解していないのではないかと思われるまま論争が続いたり、それどころか、仏教教理を誤解したままそれを正しいと思い込んで議論を続けるのは危険です。
そして、これは宮崎氏に対してだけでなく、日本人の仏教に対するアプローチに全体的に私が感じることなのですが、どうか、一生涯かけて「探究し続け」る事を目的にしないでほしいのです。探求し続ける姿勢は素晴らしいのですが、探求することは、まだ途中段階ではないかと思います。他の哲学や宗教と違って、仏教の場合は、明らかなゴールがあるのです。探求して、いつかは「答えを出すこと」、つまり「学び修行して悟ること」を目的にしてほしいのです。
山川偉也『ゼノン 四つの逆理――アキレスはなぜ亀に追いつけないか』(講談社、1996年/講談社学術文庫、2017年)
ジョン・エリス・マクタガート、永井均[訳・注解と論評]『時間の非実在性』(原著、1908年/講談社学術文庫、2017年)
リヒャルト・デデキント、渕野昌[訳・解説]『数とは何か そして何であるべきか』(原著、1888年/ちくま学芸文庫、2013年)
【注1】Paccayaは辞書では名詞としても扱われますが、語源はpaṭiccaと同じく動詞paṭi√iの連続体です。
【注2】藤田宏達「原始仏教における因果思想」『仏教思想3因果』(平楽寺書店、1978年)
【注3】宮崎氏はほぼ内容が同じ『相応部』の「城邑経」や、無明と行を除外した十因縁の中、識と名色の相互の因縁を説く『長部』第十五経「大因縁経」も挙げておられます。
【注4】藤田「原始仏教における因果思想」p.85
【注5】同上p.120
【注6】釈尊は十二支のそれぞれの内容を説明するとき、名色の名を、この五つの心所で表現しています。註釈は「思、触、作意は行のこと」としているので、識と名色を合わせて色、受、想、行、識の五蘊になります。片山一良『パーリ仏典〈第3期〉3相応部(サンユッタニカーヤ)因縁編I』(大蔵出版、2014年)、p.39
【注7】sankhārāの「n」は、正しくは「n」の上に点が入る。
藤本 晃 (ふじもと・あきら)
1962年、山口県生まれ。学習院大学哲学科、龍谷大学修士課程(仏教学)、カナダ・カルガリー大学修士課程(宗教学)を経て、広島大学博士課程修了。文学博士。現在、山口県下松市・浄土真宗誓教寺住職。
著書に『ブッダの実践心理学』(アルボムッレ・スマナサーラ氏との共著)、『アビダンマッタサンガハ』を読む』『悟りの4つのステージ』『餓鬼事経』『天宮事経』『浄土真宗は仏教なのか?』『日本仏教は仏教なのか?』『仏教はどうやって生き残ったのか?』『部派分裂の真実』(以上、サンガ)、『お布施ってなに?』(国書刊行会)、『お葬式の才覚』(新人物往来社)などがある。
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