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ティク・ナット・ハンの軌跡その9「教団の成長と組織化へ~広がる支援活動、1995年の来日」
教団の成長と組織化へ
ティプ・ヒエン教団は、1960年代にスタートした六人に加え、十数年後の1981年に久しぶりに新たなメンバーを加えた。現在日本のサンガのメンターである、もと分子生物学者のアンフーン・グエンである。
彼女は在家のダルマ・ティーチャーとして、夫のトゥ・グエンとともに、アメリカの首都ワシントンを拠点に指導を続けている。1980年から90年にかけて、教団は僧・尼僧と、ダルマ・ティーチャー*19 合わせて500人ほどの集団に成長し、2000年には世界中のセンターに常駐する僧・尼僧は合わせて約250名、一般人の正会員400名にまで成長した。
2014年10月現在、世界中の僧院に常駐する僧・尼僧は約30か国から合わせて1,000名にのぼるという*20。ここで正会員とは14のマインドフルネス・トレーニングを受けてサンガのコアグループに受け入れられた者を指し、一般にOI(Order of Interbeing =ティプ・ヒエン教団)メンバーと呼ばれる。
ティプ・ヒエン教団は伝統的なベトナムの仏教組織とは異なり、僧と尼僧、さらに在家のメンバーの立場は等しく、重要な決定はタイではなく、すべての僧・尼僧で組織された評議会によって行われる。依って立つ教義は、伝統を尊重しつつあらゆる仏教の伝統の流れからよき要素を汲み取るもので、その精神は14のマインドフルネス・トレーニングに集約されている*21。
プラムヴィレッジの中心である上の集落のダルマ・クラウド(法雲)寺には、ティク・ナット・ハンをはじめ60~70名の僧が常在する。丘を下ったソンハ僧院も僧の居住区だ。ダルマ・ネクター(法蜜)寺がある下の集落には尼僧が住み、新しい集落のアドーンメント・オブ・ラビング・カインドネス(慈悲の飾り)寺も尼僧の根拠地である。
それぞれの集落はサンガの調和を第一とし、つねにビギニング・アニュー(新たに出なおす)の儀式を行い、メンバー間の相互理解を維持している。この実践はコミュニティを支える柱になり、いつでも家族、カップル、サンガの仲間、僧や尼僧、さらに近年では紛争を続けるイスラエルとパレスチナの人びとのあいだでも行われ和解を助けている。
*19 タイから14のマインドフルネス・トレーニングを受け、さら特別に認定された指導者で、出家・在家を問わず任命される。
*20 プラムヴィレッジのウェブサイトより。このうちベトナム国外の出家者が約250人、そのほかは国内に再興されたバットナー寺院他の出家者である。
*21 92年に召集された第一回国際インタービーイング(ティプ・ヒエン)教団の会議で、会則等が制定された。
広がる支援活動、1995年の来日
1992年、ベトナムはドイモイ政策により渡航を開放し始めた。海外在住のベトナム人が帰国することが徐々に可能になり、金品の仕送りも比較的容易になった。
プラムヴィレッジのベトナム支援活動には、すでに西洋社会の様々な層が同調していた。ドイツのマイトレーヤ基金は食糧援助、学校建設、教育の振興、眼病治療、高齢者・障害者支援、水道や橋の建設などに顕著な成果を上げていた。
このころからプラムヴィレッジの支援活動は、ベトナムだけでなく、世界が直面する様々な問題に向けられるようになる。家族関係、貧困、差別、薬物、病気、精神衛生などにも、マインドフルネスの実践が大きな助けになることがわかったからである。
フランス国内にとどまらず、西洋諸国を中心に世界中から多くの人びとがプラムヴィレッジにやってくるようになっていた。
ティク・ナット・ハンがシスター・チャンコンやシスター・ジーナ等おもな弟子たち十数名とともに来日ツアーを行ったのは、コミュニティが急速に拡大し組織が整いつつある1995年5月であった。この年日本は、1月に阪神淡路大震災が起こり、3月にオウム真理教の地下鉄サリン事件があるなど、大きな試練をくぐり抜けていた。
平和の教えと実践を携えてのタイの来日には、大きな意味があったといえよう。時を同じくして代表的な著書も数冊翻訳出版された。これが日本に実践を伝える縁の起点となった。
執筆:島田啓介(ゆとり家)
(つづく)その10
本記事は、『サンガジャパン19号』からの引用です。
サンガジャパンvol.19「ティク・ナット・ハンとマインドフルネス」