イベント紹介 コラム 編集部
「医療と身心変容技法について」身心変容技法オンラインセミナー第4回と稲葉俊郎さんのこと
「医療と身心変容技法について」身心変容技法オンラインセミナー第4回と稲葉俊郎さんのこと
身心変容技法オンライン・セミナー第4回の参加予約は【コチラ】
稲葉俊郎さんと初めて会ったのはたしか2014年だったのではないかと思うが、田口ランディさんの紹介だった。当時、サンガの入っているビルに空き部屋があり、それらの部屋を借りて瞑想会や読書会など、サンガはいろんなイベントを開催していた。田口ランディさんとは井筒俊彦『意識の形而上学』の読書会を月イチで開いていたのだが、それとはべつに、たしか田口さんがサンガの近所の明治大学の教室を借りて開催していた、原発事故を契機として始まった対話集会「ダイアローグ研究会」の打ち上げだか忘年会だかをやりたいから、サンガのビルの一室を貸してほしいというような話があり、ビルの大家さんに話を通して、空き部屋にテーブルやら食べ物やらを持ち込んで、宴会をしていた。
僕も部屋を貸す仲介をした手前ちょっとだけ顔を出させてもらったときに、ランディさんから、とても面白い人がいるからと紹介していただいたのが稲葉俊郎さんだった。その頃はメディアなどには出ておらず、東大病院の第一線の医師として活躍しておられた。第一印象は「とても真面目そうな人だなぁ」という感じだったが、その後、お付き合いする中で、西洋医学の枠にとらわれない考え方を持ち、ヴィジョンを持っているのがわかってきて、そのポテンシャルにがぜん興味をもったところから、サンガジャパンへのご寄稿をお願いしたのが、2015年にサンガジャパンに掲載した記事の成り立ちでした。
稲葉さんにサンガジャパンに寄せてもらった原稿は、長文の論考であったが、それと同時に全体が一つのアフォリズムになっていて独特の読後感がある。豊かな知識から亭主移される事実と数字に裏付けられ、論理的な構造を持っているが、詩的な表情を持ち、警句として読者に気づかせようとしている。大切なことへの示唆を与えてくれる内容だった。
稲葉さんはその後も本を出し、テレビに出演し、活躍の幅を大きく広げているが、語られるメッセージは一貫している。サンガに寄稿していただいた原稿から、一ミリもぶれずまっすぐに貫くものがある。今回、オンラインセミナーでご登壇いただくにあたりNHK出版から上梓された『からだとこころの健康学』を読んでみて、あらためてそれがわかった。多面体に見えてまっすぐな人なんだな。
NHK出版 学びのきほん からだとこころの健康学(教養・文化シリーズ NHK出版学びのきほん)
稲葉さんの伝える大切なこと、それはいくつかの言葉に集約できるだろうが、一つは「全体性」であり、「調和」だ。
彼の書くテキストには、「60兆個の細胞をもつわたしたちの「からだ」」が繰り返し語られる。からだが具体的な数字をもってイメージを喚起される。その細胞全てに役割があり、その責任を果たしている、そしてそれらは全体として調和している。たとえ不調和があってもそれは大きな調和的なプロセスの現れなのだと、彼は言う。
今回の講演のプロフィールを見ていたら「全体性を取り戻す新しい社会の一環としての医療のあり方を模索している。」とある。からだという全体性から、社会の全体性へとホログラフィックに活動が展開している。それはもともと彼の目指していた方向でもあると思う。西洋的な物質に偏った医療から、ぜひ柔らかな感性を内包した全体性を取り戻す医療へパラダイム自体が変わってもらいたいと思うし、また稲葉さんは時代の切っ先にいてその開拓をしている人なのだろうと思う。
以下は、『サンガジャパンVol.21輪廻と生命観』に寄稿いただいた原稿の一部だが、稲葉さんの考え方が集約されていると思うので、引用します。セミナーをどうぞお楽しみに。
この宇宙は約一四六億年前に生まれ、この地球は約四六億年前に生まれたとされる。水という神秘的な場を舞台に、海という巨大なゆりかごから約三五億年前に生命の原初的な形が生まれた。原始的な生命は単細胞生物という一つの細胞で完結していたが、その後に約二五億年の長い歳月の試行錯誤をかけて、多細胞化への道を選ぶ一群の野心的な生命が現れた。そうして、今から約一〇億年前に多細胞生物がはじめて生まれたとされる。現生人類である新人(ホモ・サピエンス)が登場したのは約二〇万年前のことなので、生命の歴史から見ると人間の歴史は浅く、新参者でもある。
この遥かないのちの歴史の中で、二つの細胞があわさって一つの生命となり、三つの細胞があわさって一つの生命となり……、という気が遠くなる試行錯誤を延々と繰り返し続け、人体は約六〇兆個の多細胞化という途方もない偉業を成し遂げた。
「からだ」はすべてのひとが生まれた時から無条件に与えられているので、この複雑な仕組みを当たり前のこととして感じてしまう。ひとのからだが「生きる」という自発的で調和的な営みは、生きている限り一瞬も途切れることはなく、生きていること自体がすでに神秘だ。生きとし生けるものはすべて例外なくこの調和的なシステムを前提として生きており、同時にいのちの力で生かされている。
人体は卵子と精子の出会いに始まる一つの受精卵という単細胞から、少しずつ分割されていくことで六〇兆個の細胞へと変化していく。その時に六〇兆の細胞はすべて正確に役割分担がなされていく。それぞれの細胞は各自の仕事を責任もって担う。心臓を構成する細胞は、心臓という役割をしっかり果たすし、脳を構成する細胞は、脳という役割をしっかり果たす。心臓の細胞が脳の細胞の働きをすることもないし、その逆もない。それぞれは役割に誇りを持ち分担作業を行う。専門分化しながらも、一つのからだという全体のために調和的な仕事をし続ける。からだに不調和な事態が起こると、病や症状の形で顕在化してくるが、それも調和的なプロセスの顕現にすぎない。
こういう驚異的な仕組みは、自分の八〇年だけの人生を考えても全く説明が付かないものであり、いのちそのものが、宇宙的な時間の流れの中ですべての歴史を受け継いで生きている。それは信念体系や信仰に依存しないものだ。
自分のからだやいのちに流れる歴史性を考えて思いを馳せることは、非常に重要なことだ。私たちが祖先やいのちの流れの中で、あらゆるものを受け取りながら、いまここに存在しているという自己認識こそ、思い出すべき価値観ではないだろうか。
宇宙がビッグバンという現象で初源に発生したと考えるのならば、すべての存在物はジグソーパズルのピースの一つ一つのようなものだ。ジグソーパズルのピースは、たった一つでも紛失してしまうと元の全体像へと復元することはできない。だからこそ、この宇宙に存在しているものにはすべて存在理由がある。すべては何らかのつながりや流れの中で派生して存在しているのだが、宇宙的ヴィジョンや宇宙地図が広大すぎて人間の脳ではうまく全体像を捉えることができないだけだ。つながりや流れのような時間性、歴史性を、頭の知識としてではなく、からだ全体の存在体験として深く強く感じることが重要なことだ。
ひとの「からだ」を診ることは、そうした遥かなる宇宙的な流れで途切れることなく続いて生きたいのちの流れを感じながら診る(観る)ことであり、六〇兆の細胞が調和的に存在している背後の力を感じることでもある。そういう調和的な力は、普段は当たり前すぎて感じることが少ないが、病を含め体が不調和になった時に初めて、生命存在を裏打ちしている調和的な力を感じることができる、というのは皮肉なことだ。
その調和的な力は発生源もメカニズムも、あまりに宇宙的で壮大すぎてよく分からないので、いくらでも神秘的な解釈もできるし、いくらでも合理化できる。ただ、大切なことは、いのちの調和的な流れを強く深く感じながら生きるということだ。いのちの流れに自分自身も積極的に参加して関わって生きていくということだ。そのことを気付くために、仏教でいう四苦という生老病死があるのだと思う。四苦はそこにとらわれて呪縛されるものではなく、いのちの流れに気付くためのきっかけである。
(「いのちの歴史と未来の医療」『サンガジャパンVol.21輪廻と生命観』pp. 230-232)
(編集・川島)
第4回 稲葉俊郎先生「医療と身心変容技法について」
11月25日(水)19~21時
医療の現場は病気を治すことがメインだと思われがちだが、それだけではない。医療の本質は、生命の全体性を取り戻すプロセスであると考えると、西洋医学に限定しないあらゆる方法が医療として応用できうる種があることが分かる。人間の意識活動はリズムを持ち、意識と無意識を反復運動しているが、そうした運動自体が生命システムの全体性を保つために重要な役割を持っている。意識活動では外界を、無意識活動では内界を担当しているが、そうした外界と内界をつなぐ領域も重要であり、夢、修行、瞑想、芸術など、あらゆる手段の中にそうした役割を見出すことができる。東洋的な身体論の伝統では「身心一如」が説かれているが、意識状態の変化により身心の状態を調整することができるため、脳に伴う意識活動と身心との全体性も重要である。医療現場において、そうした身心変容技術の重要性に関して共有し、どういう場が医療的な場と言えるのかを共に考えたい。
(稲葉俊郎)
サンガジャパンオンラインでも稲葉俊郎さんのコラムを掲載しています。