2020年1月末の旧正月の時期に中国で流行り始めた新しい感染症、COVIT-19が1ヶ月後には日本の中でも広がっていき、2月の末には首相が翌週から春休みにかけての全国的な一斉休校を要請した。
数日前に時差登校の方針が東京都から出されて、新しい時間での授業やテストをどうするかを決めて慌てて出したばかりでの首相からの要請で、その発表が出された翌日の学校は混乱していた。
テストがなくなったら授業の代わりの課題はどうするのか?課題の提出方法は?成績はどのようにつけたらいいのか?
その日の生徒の登校時間は9:30からで、8:30から職員会議。成績は「教科の判断で」というけれど、生徒に会う前に教科会議をもつ時間もない。
9:30に生徒が登校して、月曜から休校であること、学校に終業式までは登校できないこと、課題についてはおって連絡があることを伝える。
いきなり一年で最後の授業になる。生徒が最後のプレゼンテーションを始めるはずの日だった。全員やる時間はないから、プレゼンテーションは中止。せっかく準備してきたものも宙ぶらりんのまま終わった。
授業の合間に会議。今後のことを決める。慌ただしく色んなことが決まっていく。
自分がすごく焦っていることに気がつく。気持ちの中に焦りがある。周りの先生たちも焦っている。
呼吸に意識を向ける。呼吸が浅くなってる。少しの間だけ作業をやめてじっとしてる。ゆっくり息を吐く。これから何を優先して何をやったら良いのかを考える。出来ることと、考えても変えられないことをクリアにしていく。
途中でトイレに行く。職員室からトイレまでの20歩ぐらいを自分の一歩一歩と呼吸に意識を向けながら歩いていく。自分の足の感覚に意識を向ける。耳をすませながら歩いていく。遠くからカラスの声が聞こえる。
扉を開けるときに、意識的にゆっくりと開ける。手を洗うときに、丁寧にゆっくりと洗う。自分の手があって、手が動いて、今日も私のためにここにいてくれるということに感謝しながら。
手を洗う水がそこにあることにも気づく。空から降ってきた雨が、大地に染み込んで、ここまでたどり着いてくれた。水道局の人たちがこのシステムを維持してくれてるから簡単に水が手に入る。手が洗える水があるって素晴らしい。
コロナウィルス対策で大事なことと、マインドフルであることってつながってるな、と思う。
自分が何をしているのか、何をさわっているのか、どんな環境にいるのかに意識的であること。(自分が思っている以上に無意識で色んなところを触っていた。)丁寧に、手を洗うことを忘れないこと。自分が何とつながっているかに意識的になること。自分の身体と心をケアすることの大切さ。
生徒に「また会う日まで」と言って別れる。「気をつけてね」「先生も」と言って名残を惜しみながら出て行く。「先生、みんなに会えなくなると寂しいです」と生徒が言う。私もだよ。来週から学校に生徒がいなくなるのか。
翌週からの学校は生徒のいない空っぽな建物になった。廊下が静かで寒かった。生徒がそこにいない、というだけで寂しい。
そこにいてくれるってだけでたくさんのものをもらってたんだな、と思う。賑やかな声が、笑顔が、くだらないようなことが、私にたくさんのものを与えてくれていたんだな、と思う。そこにいてくれるだけで、本当にありがたかったんだよね、と思い知る。
先生が先生でいられるのって、そこに生徒がいてくれるからだ。生徒がいなければ、「先生」になることはできない。私たちは関係性の中に存在している。生徒がそこにいてくれる、ということが先生の存在根拠だったんだ。そこにいてくれるということに私たちは支えられているんだ、ということを知る機会になった。
生徒がいなくなる最後の数日はものすごく忙しかったけれど、休校になってからはいつもよりも時間ができる。
生徒の出したエッセイにコメントを書いたり、これまでの成績をもとに学年の成績出したり。生徒のレポートカードのコメントを書いたり、指導要録書いたり。
いつもは年度末って授業やりながら成績出して、たくさんの会議があって、目が回るほど忙しいのだけれど、今年は授業がなくて生徒がいない分時間があって、成績処理の時間がゆっくり取れる。(むしろ今まで授業やりながらよくやってたな、と思った。)
人生で初めての在宅勤務をする。採点したり、メール送ったり、教材研究したり。いつもは教材研究の本を読むときは次の授業に関連するところを部分的にしか読めないけど、しっかり1冊読む時間がある!新しいことを学んで今までの知識と結びつくのが面白い。あぁ、私学ぶことが好きだったんだな、と思い出す。
通勤がなくて満員電車がないのは楽だった。でも在宅勤務初日、狭い部屋の中に閉じこもって長時間同じ姿勢で働いていたら身体が固まってしまって、疲れた。
普段の職場って、他の職員室や事務室に行ったりしながら身体を動かしているんだなぁ。同僚との何気ないおしゃべりも気晴らしになってたんだな。身体を意識的に動かしてゆるめる時間が必要だな、と、思う。仕事していると、自分の身体がそこにある、ということを忘れてしまってる自分に気がつく。翌日からは在宅勤務の際には1時間たったら5分ぐらい、深呼吸しながらストレッチをすることにする。
でも学校でしかできないことも結構ある。成績や生徒へのコメントを入力すること。成績に関する会議。
学校へ向かう電車はこれまでよりはかなり空いているといっても、それでも1メートル間隔をあけるまでにはいかない。近くで咳をしている人がいたりすると、やっぱりドキッとしてしまう自分がいるのを発見する。
ドキッとした後に、自分の中にある怖れを見つめる。怖れの気持ちと一緒に呼吸をして、ただ一緒にいる。「これは、自分の中にある怖れであって、咳をする誰かが悪いわけではない。」と語りかける。咳をする誰かが悪いわけではないのに、その人を攻撃してしまうのは、自分の安全が脅かされているという恐怖がそこにあるから。でも、ちょっと咳き込んだ人がいたから、その人がコロナウィルス感染者である可能性って低い。気をつけることは大事。どこに行って、何をするのかに意識的であることは大事。でも、自分の中の怖れを見つめずに人を攻撃してしまうのは、お互いに不幸になるだけ。
自分の中の怖れを「私の中に怖れがある」と認めてあげるだけでも違うはず。そこにあるのが何か分からないと、それに振り回されてしまう。でも、そこにあるものを認めてあげることができれば、それに無意識でコントロールされなくなるはず。今こそマインドフルネスが大事だ、と思った。気づいている、ということがこれほど大切な時はない。
自分の中にどんな情報を入れて、どんな心の種に水やりをしているのか、ということに気がつくことも大切だと思った。ニュースでは不安と恐怖を煽るようなニュースばかりが流れてくる。マスクをめぐる人々の争いや電車内での喧嘩の映像が流れる。そういったものばかりを自分の中に取り入れていたら、不安や恐怖はどんどん大きくなっていってしまう。
何が起こっているのかを知るのは大切なこと。どのような対策が必要なのかを知っているのも大事。今やってはいけないことや、やった方がいいことを知って意識することは大切。
でも、自分の中の恐怖や不安をふくらませないことも大事。自分が受け取ったものによってどういう影響を受けているのか気づくことも大事。日々のニュースや会話によって、私たちの中の心の種は育っていく。不安や恐怖の種に水やりをすれば、不安や恐怖が育っていく。不安や恐怖が大きくなれば、身体だって具合が悪くなってしまう。身体と心はつながっている。全てのことは変化していく、今心配しすぎても、先のことは誰にも分からない。
良い種に水やりをすることも大切。近所を散歩して、道端に咲く花の美しさに気がついて、立ち止まって呼吸を一緒にする。愛でることができるたくさんの花々が今そこら中にあふれてる。春の鳥がさえずり、風は気持ちいい。自分の中の喜びをじっくりと呼吸と共に味わう。幸せ感が増す。
今生きている、ということが素晴らしい。自分が生きていること。家族が生きていること。一歩一歩を踏み出せること。まだ肺や心臓が健康に動いて、私を生かしてくれること。胃は働き、美味しい食べ物を吸収してくれる。家にいて、食べているとしても、目の前の食べ物はつながりの中からやってきたもの。私を支えてくれる人たちや様々な要素があるから、だから食べ物をいただくことができる。
いつも集まっている仲間と物理的に会うことはできなくなってしまった。でも、それはだからつながっていないということではない。オンラインでつながることはできるし、思いを馳せることはもっと簡単にできる。自分にとって大切な人とのつながりを改めて教えてくれると思う。胸に手を当てて呼吸をして、自分にとってどれだけ大事で、何を与えてもらっているのかを思い浮かべれば、そのことによってエネルギーをもらえる。彼らの安全と心の平和を祈ることが、私自身を助けてもくれる。
「病気になったらどうしよう」と考えて不安をふくらませていけば、目の前に今ある健康と幸せを見ることができなくなってしまう。病気になる可能性はある。それによって死ぬ可能性もある。でも、それは人生のいつだってあるのだ。私たちはいつか病を得て、いつか死んでゆく存在。全ての人間は、いつか死ぬ。まだ起きていないことへの怖れに思考を巡らせて心のエネルギーを使うことはもったいない。だって今、生きていて、視点を変えれば喜べることが本当はそこにはたくさんあるのだから。自分の周りにいる大切な人がそこに生きているという奇跡にも気づけなくなってしまう。
それは、怖れや苦しみから目をそらす、ということではない。ネガティブな思考を無理にポジティブに変えるということでもない。
そこにあるものを、そのまま見つめて、ただ一緒にいること。怖れでも不安でも、悲しみでも息苦しさでも、ただ一緒にいること。それらと一緒にいることは「人生を楽しむことができない」ということではない。自分自身の中のそれらの気持ちと一緒にいることができた時に、そこには喜びも出てくる。マインドフルネスのエネルギーは、苦しみと共にいながら、喜びも見つめることを可能にしてくれる。
改めて、今こそマインドフルネスが世界中で必要とされている、と感じている。
自分の行動に気がつくこと。自分の感情や気持ちに気がつくこと。自分の身体に気がつくこと。心と身体のケアの仕方を知っていること。苦しみとの向き合いかたを知っていること。何に影響されているのかに気がついて自分の中に何を入れるのかを選ぶこと。自分が何とつながっているのかに気がつくこと。自分にとって大切なものを見つめ直すこと。自分に今あるものに気がついて、感謝すること。
息を吸って、息を吐いて、見つめてほしい。自分の中に何があるのか。どんな気持ちでいるのか。自分が感謝できることは何なのか。大切にしたい人は誰なのか。
コロナウィルスが教えてくれていることはたくさんある、と思う。
「私の病とマインドフルネスその1」は【コチラ】
「私の病とマインドフルネスその2」は【コチラ】
「私の病とマインドフルネスその3」は【コチラ】
「私の病とマインドフルネスその4」は【コチラ】