サラナ サラナ

 

じんくみ 
入院する前に――私の病とマインドフルネス その2
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職場への連絡

足の感覚の異変を感じ始めてから1週間後に病院に行くと、思いもよらずお医者さんから「2日後から入院してください」と言われて入院することになった。脊髄に炎症が起きているとは言われたけれど、それが何なのかはまだ分からない。

 

とりあえず職場に連絡をして「明後日から入院することになりました」と報告したところ「身体のことが一番大事だから心配せずに休んできてください」と言われる。ありがたいことだ。翌日は休みの日だったけれど職場に行ってどうしても片付けなくてはいけない仕事だけ片付けて、翌日からの入院に備える。

 

部活の生徒からのメッセージ

私が顧問をしている女子サッカー部のキャプテンから「先生、来週末の試合は会場どこですか?」という連絡がくる。会場を伝えたあとで「言わなきゃいけないことがあるんだけど、急に入院することになって10日ぐらい、いないことになってしまったんだ。引率とか他の先生にお願いしているからよろしくね。試合には多分帰ってこれると思うのだけれど、練習出れなくてごめんね。練習メニューとかお願いね」と伝える。

 

30分ぐらいしたらその生徒と、その生徒と一緒にいた同じ部活の生徒からビデオメッセージが届く「先生がいない間にも一生懸命練習して、全員レベルアップするので、安心して、ゆっくり休んで、元気になって帰ってきてください。お大事に!」という。

 

それを見て、しばらく泣く。やっぱりあの子たちのためには、深刻じゃないといいなぁ。「もう、大丈夫だよ」って言って戻ってきてあげたいなぁ。元気になって帰ってこれるといいなぁ。そして、そんな思いやりのある生徒に恵まれて幸せだなぁ。本当に恵まれてるんだな。

 

みんなに連絡する

家に帰ってから、SNSでも「入院します」という報告をする。いきなり音沙汰がなかったらみんな心配するかもしれないし、今まで日々の小さなことを書いていて、自分に起こっているこんな大きなことを言わないのもなぁ、と思って。誰かに言って、誰かには言わなくてと分けることも難しかったので、みんなに報告することにした。

 

たくさんの心配のメッセージをもらう。

 

「お大事に」「ゆっくり休んでね」「忙しかったから疲れたんだよ」「働きすぎなんだよ」「心配です」「入院、頑張ってね」

 

何十件ものメッセージをもらって、やっぱりたくさんの人に心配かけるんだったら言わない方がよかったのかな、と思う。たくさんの人から思った以上の反応をもらって、ありがたいなぁという気持ちも、もちろんあるのだけれど、けっこうしんどいと感じている自分もいた。善意から言ってくれていることはよく分かるのだけれど、心がざわざわして「そんなことを言われても…」って思っている部分もあった。読んでいてエネルギーを使って疲れてしまっている。一体何に疲れているのだろう。何がしんどいのかについて見つめてみる。考えてみると、言われてしんどいことには4種類あるな、と思う。

 

入院時に言われるとしんどい4つのこと

まず1つ目、原因を探すような言葉には疲れてしまう。「忙しかったからじゃないか」と言われると「原因はあなたが自分の身体をケアする時間を十分に取らなかったからだ」と責められているように聞こえる。相手がそういう意味で言っているとは思わないけれど、そういう風に受け取ってしまう。私が悪いからこうなったのだと。今それを言われても私の症状を変えることはできないから、そういうことは言わないでそっとしておいてほしいな、と思っていた。

 

相手はこちらのことを思って言ってくれていることは重々分かってる。「もっと自分のケアをして具合が悪くならないようにしてね」「これからはもっと気をつけてね」という気持ちで言っているのだと思うのだけれど、その時は「もっと」と言われることはきつかった。相手が責めていなくても、「今そんな風に責められても…」と思ってしまう。自分が弱っているからなんだな、と思うのだけれどしんどかった。

 

でも、よく考えたら私だってそういうことを人に行っていた。相手のこと思って、相手のことを大事にしているつもりで。相手に自分をもっと大切にしてほしくて。言われてみると、こんなにしんどいんだな、ということがよくわかった。自分が言われる側にならないと分からなかったな、と思う。

 

そして、2つ目は「すごく心配しています」と言われることも負担に感じていた。相手に心配をさせて悪いな、と思ってしまうから。相手にとって気がかりを増やすのだったら、言わない方が良かったのかな、と思った。相手を心配させたくないから自分の話をしないって人もけっこういるのだろうな、と思った。人に心配させると、相手に申し訳ないって気持ちになる。

 

3つ目は、「頑張ってね」という言葉。ただ力を抜いて休みたいのに「頑張れ」と言われると力を入れて努力しなくてはいけないと言われているように受け取ってしまっていた。「入院頑張って」と言われると自力で何かをしなくてはいけないのかな、と考えてしまった。病気を治すのは努力によるもので、治らないと努力が足りないということになるのだろうか、と思考を膨らませていた。

 

なぜ「頑張って」と人は病気の人に対して言うのかを考えてみると、相手が落ち込んでしまうような場合で元気を与えたいんだろうな、と思う。「落ち込んでないで、あなたにエネルギーがあることを望んでいます」ということの現れだろうか。「あなたに力が与えられるように願っています」ということの別の表現なのかもしれない。私に元気をくれようとしているのだと思う。でも、その時私が願っていたのは、ただ「力を抜く」ということだった。ただ、休ませてほしかった。

 

そして、4つ目は「早く治ると良いね」という言葉がしんどかった。「今の状態ではないところに早く行きなさい」と言われているようで、急かされているように感じていた。プッシュされているような気がして息苦しかった。「早くしなきゃいけないのか」と考えると心が休まらなかった。治ることは良いことで、治らないとダメなのだろうか。

 

もちろん、それは私の健康と回復を願っていてくれていて、私のことを考えてくれているから出てくる言葉なのだとは分かっている。でも、「ゆっくり」でも良いと言ってほしかったし、今そこにいるそのままで何であれオッケーと言って欲しかった。

 

相手の苦しみを自分のものに感じる人へ

それらの言葉について改めて考えてみる。なぜそういうことを周りの人たちが言うかというと、親しい人ほど相手の苦しみを自分のものとして感じてしまう、という人間の性質からきてるんだな、と気づく。私たちは関わり合う存在だから。それは私の苦しみをその人の苦しみとして受け取ってくれたということでもある。私の苦しみを取り除きたいと思って言ってくれているのだと思うし、それはその人自身が苦しくなっているから何とかしたいという気持ちもあるのだと思う。

 

でも、そうすると私の苦しみが相手の中に入って、その相手の苦しみが私の中に入って、苦しみが増していくことになる。

 

さらに深く見つめてみると、相手の苦しみを自分の中に入れてしまうのは、それを分けて考えることができていない自分の受け取り方というのもあるな、と気づく。相手の中にある「心配」や「不安」という苦しみを慈悲の気持ちで見て、自分の怖れや不安に微笑んだみたいに、相手の心の中の苦しみに微笑んであげればいいんだ、と気づいて、ちょと楽になる。

 

相手の気持ちの奥にあるものが見えてくると、ちょっと余裕ができた。自分がしんどくて余裕がないと相手の言葉に対して反射的にネガティブな受け止め方をしてしまうこともある。でも、呼吸に帰って、自分の中にスペースを作って、相手の奥にある苦しみが見えれば自分も受け取りやすくなる。あぁ、自分の中にスペースを作ることって大事だな。相手の言葉をしんどいと感じて「こんな時にそんなことを言われても」と思っていたけれど、私の受け止め方が変われば、見えてくるものも変わるのだなぁと気づく。自分のネガティブな感情に気づいて見つめた時に、見えてくる新しい景色がある。

 

そんなことに気がついて入院前日の1日を終えた。明日からいよいよ入院。色々な気づきの機会となりますように、と願って眠る。(つづきます)

「私の病とマインドフルネスその1」は【コチラ】

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