10月2日から入院することになった。そこは大きな大学病院で検査など色んなものは番号札でシステマティックに処理されていった。血液検査、複数回のMRI検査(色んな部位に分けて撮影した)、視野の検査。何日にも渡って検査があった。
MRIなど、動くことができない時には、いつも呼吸の瞑想をしていた。できることは呼吸だけ。でも、呼吸はいつもそこにいてくれる友人。「いつもそこにいてくれてありがとう」と思いながら呼吸を味わう。息を吸って、息を吐く。呼吸がどんな時も自分と共にいてくれることを、知っていて良かったな、と思う。
病院食は機械的な音楽と共に運ばれてきた。保温がされていて、温かいけれど、全体的には薄味で、煮物は柔らかすぎるぐらい柔らかい。ティック・ナット・ハン師の『ブッダの幸せの瞑想』の「食べる瞑想」の章を読み直し、「食前の5つの祈り」を読む。ほぼ毎食、「食前の5つの祈り」を読んでいた。いつもは、ゆっくりゆっくりご飯を噛みしめて食べることはできないけれど、ここでだったら毎食できる。食べる瞑想の実践をする。
そうするとサンガで「気づきの日」にみんなで食べる瞑想をした場面が思いだされる。仲間が食べる瞑想を説明する時に語ってくれたこと。そこでの気づき。食べる瞑想をしながら、サンガの仲間たちが一緒にいるのだな、ということを実感する。一緒に食べる瞑想を重ねた時間が助けとなって、私の食べる瞑想を豊かにしてくれる。病院食の奥にだって、たくさんの命と愛のある働きかけがある。それってありがたい。
食べる瞑想はインタービーイングを感じられるすごく貴重な機会。食べ物を通して、植物などの命と、太陽や大地や水と、それを育ててくれた人、運んできてくれた人、作ってくれた人、ここまで届けてくれた人とのつながりを感じることができる。病院にいて、多くの時間を一人で過ごしていたけれど、自分は多くのものとつながっているのだ、という感覚をずっと持っていることができた。閉じこもった中にいるからこそ、それまで以上につながっていることを感じる時間になった。
廊下では、一歩一歩、歩く瞑想をする。貴重な一歩。ただそこにある一歩。ただ歩くことのために歩く。「Nowhere to go, nothing to do どこにもいかなくていい 何もしなくていい」その実践をまさにする時だった。ゆっくり歩いていても、誰にも見咎められない。私が今ここでするべきことは「何もしない」なのだ。それってなんて贅沢なんだろう、と思いながら廊下を歩いていた。
ベッドの上で「力を抜く」プラクティスをする。スマホでプラムヴィレッジのアプリから「深いくつろぎの瞑想」を流してプラクティスをする。ベッドの傍らには、家から連れてきた「ナマケモノ先輩」のぬいぐるみを置いて。サンガの仲間であるダーさん(島田啓介さん)から「ナマケモノはすごいんだよ。脱力の天才だよ!我々はナマケモノを見習った方がいい。」という話を聞いたばかりだったから、ナマケモノ先輩から学んで脱力することにする。
毎日ベッドの上で、座る瞑想もしていた。心が静かになる。検査を受けている間、私の心は落ち着いていた。プラクティスが助けになってくれていた。でも、病気になって入院して、ずっと心が穏やかだったわけではなかった。
入院して5日目の午前中に、主治医から検査の結果を受けての説明があった。母と妹も一緒だった。それは自己免疫疾患で、自分の免疫が自分の脳や神経を攻撃してしまうという病気だった。私にとっては初めて聞く名前の病気だった。症状が出たのは今回が初めてだったけれど、これまでも影響がでないところで攻撃されていた、という話だった。それは、治る病気ではなく、再発の可能性がある、ということだった。根治しない難病で、人によって現れ方に大きく差があるけれど、今後何も起こらないこともあれば5年後には寝たきりになっているかもしれない、と言われた。薬はいくつかあるけれど、どれも副作用もあり、値段も高額という話だった。
日常生活にはほとんど支障はないけれど、熱さを避けた方が良いと言われた。熱い温泉にはいることや、炎天下の中に長い間いることなどは避けてくださいと言われた。そうしないと、再発する可能性が高くなります、と。「サッカーはどうですか?」「夏にサッカーの試合や練習を外で見ることは?」と聞いた。サッカー部の顧問で、これまで生徒と一緒にプレーをしていた。生徒の試合に入って一緒にでることもあった。夏も練習で外に出て、練習メニューを指示したり、一緒にプレーしたりしていた。
「それはやめた方がいいですね」と言われた。炎天下で外にいるのはやめた方がいいって。夏の練習はどうするんだろう。夏合宿はどうなるんだろう。試合の審判は?女子サッカー部の顧問を続けることはできないんだろうか。
その日は午前中に母と妹は家に戻り、私は一人になった。
ローソンに買い物に行くために別の病棟へ歩いて行った。すると、綺麗な服装をした何名かの楽器を持った学生たちとすれ違った。楽しそうにおしゃべりをしている。ここは大学病院なので、大学の施設もあるので、医学部や看護学科の学生が廊下を歩いていることはよくあった。でも、その日はいつもよりも多くの学生に病院内の廊下ですれ違った。彼らはとても楽しそうに見えた。楽器を持っているのは大学の音楽サークルの生徒なんだろう。
私は「あの人たちは若くて、健康で、病気もないんだろうな」と思った。そして「サークル活動をして楽しんでいる人たちが、病院の中を浮かれて歩いているなんて、患者さんたちに対する配慮が足りない」と若干苛立っている自分がいた。「医学部の学生や看護学科の学生で、医療を目指す人間が、病院で入院している人間がそこでどんな気持ちになるかも分からないで浮かれて楽しそうに歩いているなんて、思いやりがない」とも考えていた。
でも、すれ違ったある人と学生が「今日は病院内コンサートなんです」と話しているのが聞こえてくる。その日は土曜日で外来は午前中までだったけれど、人がいなくなった病院の椅子を動かして、そこで年に1度のコンサートをやるのだという。
私は自分の病室まで戻りかけていたのを引き返して、そのコンサートを聴くことにする。学生のオーケストラがジブリやディズニーの曲を演奏してくれる。音楽っていいなぁって思う。彼らは私たち入院患者に聞かせるためにそこで演奏してくれてたんだ。
その演奏を聞き終えてからしばらく外のベンチに座って考える。私は一体、何に対してあんなに苛立っていたのか。浮かれている学生がいたって、いいじゃないか。楽しそうにしている人がいて、何が悪いのか。
自分の苛立ちの奥にあったものをよく見つめてみる。「よしよし、何か私の中に痛みがあるんだね」と語りかけて、自分に寄り添って、自分の中にあるものに目を向ける。あの時思っていたのは「あの人たちは私たち入院患者の辛さを分かっていない」ということだった。
でもそれは、自分自身が抱えていた痛みだった。私が分かっていなかったのだ。誰よりも私が私の痛みを分かっていなかったのだ。だから、人を責めて、通りすがりの若者たちを羨んで「あの人たちは、私たちの痛みをわかっていないんだ!」と思って苛立っていた。分かっていないのは自分だったのに。自分の痛みを他者に投影して、人を責めてたんだなぁ、と気づく。
改めて考えてみると「私の痛み」とは何なのだろうか。私は何を「分かってもらえない」と思っていたのだろうか。私は何を分かってほしかったんだろうか。
自分が根治しない病気になったこと。再発する可能性があること。何年かのうちに、動けなくなるかもしれない可能性があること。そして何より、部活が見れなくなること。サッカーができなくなって、部活の生徒と一緒にいられなくなること。
あぁ、私にとって部活って大事なんだよなぁ、と思う。サッカーを教えることも、一緒にプレーをすることも、生徒の側にいて、成長を見守ることも、私にとってはとても大事だった。微笑んだからといって、簡単に手放せない。私は自分が思っていた以上に、今日の主治医からの診断にショックを受けていたんだな、とその時初めて気づく。
自分がどれぐらいショックを受けているのか、ということにそれまで気づかなかった。気づかないから、人を責めていた。人が自分を理解してくれないと思っていた。でも、自分を理解していないのは誰よりも自分だったのだ。自分が自分の痛みと向き合うことができていたら、健康な人をやっかむ必要なんてなかったのになぁ。あぁ、「私は大丈夫。プラクティスもあるし。」と思っていたけれど、その結果無視していたものもあったんだなぁ、と気づく。
大丈夫な時もある。でも、痛みを感じていることだってある。マインドフルであるって、自分のことを決めつけないで一瞬一瞬の状態に耳を澄ませること。
大学生の音楽が、私の心を癒してくれたから、気づくことができた。そうでなければ、人を責めたまま、終わっていたかもしれない。
入院生活はその後も続く。そこで、病を得なかったらわからなかったことを、さらに経験することになる。(続きます)
「私の病とマインドフルネスその1」は【コチラ】
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