1年半年ほど前に「ゆとり家」という、伊勢原市の里山にあるダーさん(島田啓介さん)の家に行った。それは月に1度開催されている「気づきの日」という瞑想会に参加するためだった。月に一度開催されている、プラムビレッジスタイルの瞑想会は、ワシントンに住むアン・フーンさんというティック・ナット・ハン師の姪御さんからお話を聞ける機会で、全国のサンガ(実践者の集まり)がZoom(スカイプのようなビデオ電話)でつながる日でもある。私はいつも「微笑みの風」という東京のサンガに参加しているけれども、その日は紅葉の美しいゆとり家でダーさん(島田さん)たちの開く場に参加してみたくて、ゆとり家さんでの集まりに参加した。色鮮やかな秋の景色の中での食べる瞑想や、葉っぱを踏みしめる歩く瞑想、心からの分かち合いの時間を終えて一日の瞑想会は終了した。
東京へと戻るために家を出ようとすると、ダーさんの奥さんである、さなえさんがちょうど家に帰ってきたところだった。ダーさんが私を「彼女がじんくみだよ。僕たちの魂を継続してくれる人だよ。これでもう安心だ。」という。「魂の継続」という言葉を私はその時、サンガの中でのありがちな表現として受け取っていた。誕生日にはサンガの仲間は「継続の日おめでとう」と言う。それは私たちは生まれたり死んだりするのではなく、私たちの魂は祖先や両親、出会う人々からの継続であるという考えからだ。だから「魂の継続」と言われた時に「この人もプラムビレッジの教えを実践している若い人だよ」ぐらいの表現だと受け取っていた。
今回ダーさんが初めて書いた自身についての著書『奇跡をひらくマインドフルネスの旅~ありのままの自分に帰り豊かに生きるための20のレッスン』を読んだ。それまで「むかしは鬱がひどかったけれどインドに行ったら治った」という話や「ティック・ナット・ハン師を1995年に日本に招いたときにはオウム真理教の事件の逆境の中で非常に厳しかった」という話や「昔、メキシコを巡礼した」という話を聞いていたけれど、なぜそれが起こり、ダーさんの心の中にどのような変化があって、今のダーさんとどのようにつながっているのかということはクリアではなかった。ダーさんが書いた本を読んで、今までバラバラだったダーさんの話がつながって、目の前にいる人の紆余曲折の道とその奥にあった世界が垣間見えて「ダーさんの言葉にある実感と温かさはここから来ていたのか」ということがよく分かった。
鬱病の苦しみの真っただ中にいた20代の話。その中で祈るように作品を作る「クサマさん」との出会い。婚前旅行のつもりで行ったイギリスで婚約者が「出家する」と宣言して心と身体の行き場をなくした若きダーさんが仕方がなく勧められるままにメキシコに巡礼の旅に出てティック・ナット・ハン師教えに出会ったこと。アメリカでヒッピーの運動が起こった後に日本にもやってきた「精神世界」への関心の高まり。ティック・ナット・ハン師をいよいよ日本に招くとなった1995年には阪神淡路大震災に続いてオウム真理教により起こった地下鉄サリン事件。そこで起こった瞑想への逆風の中でティック・ナット・ハン師の来日ツアーそのものは素晴らしかったけれど、日本ではサンガが浸透せずにほとんどのグループが消滅していったこと。「マインドフルネス」という言葉がビジネスの雑誌にさえのるようになった今とは大きく違う逆風の時代があったのだ、ということが伝わってきた。ダーさんは著書の中でこう述べていた、
「サンガとか、『集合的な実践』と言葉にするのは簡単だが、真意をきちんと受け取り、実行することは想像以上に難しい。ぼくらは、一見口当たりのいい『支え合い』や『微笑みとやさしさ』などの言葉に幻惑されていたのかもしれない。その裏打ちとなる決意や胆力こそが重要で、それらは長く地道な実践を続けることによってしか培われないものだ。集まって仲良く瞑想していれば、自然と良い方向に向かうようなものではないはずだが、そうした当たり前のことが深く理解できなかった。(p.95‐96)
瞑想することで安らぎを得られるから、だから自然と「サンガ」が作られ、自然と継続してきたわけではなかった。決意と胆力が必要で誰にでも継続できるものではなかった。ダーさんにとっても継続して瞑想会を開いていくことが負担だと感じる時代があったのだ。
そして、ますます不安定になる世界の中で、安心の余地は徐々に浸食されていった。
「大気は不安の色に濃く染められ、ぼくらは怖れを呼吸しながら生きる時代になった。(p.106)」
でも、だからこそ人々は本当の安心を求め、ダーさんにとっても「世紀をまたいでパラダイムシフトの旅」が再びやってくる。ダーさんの人生の中に、その時その時の世界が映し出される。右肩上がりの成長が行き詰まりを見せた日本とますます不安が増す世界の中で、新たな価値観を重んじる人々が現れる。その流れの中でダーさんは導かれるように歩みを進めていく。それは日本の「マインドフルネス」の旅そのものでもある。
ダーさんは2001年には広島の原爆の火を、その故郷のアリゾナ州のブラックメサという先住民の聖地に帰しに行く旅の「火の守り人」となった。多くの励ましや祈りによって支えられ
「自分が主体ではなく、何かの一部として『使われよう』とするとき、様々な思いから解放されて、身一つで入っていく勇気と力が発揮される。(p.117)」
自分ではない力にゆだねて、火の神聖さと破壊のエネルギー、人の心の祈りと邪さと出会いながら、メキシコとアメリカを火と共に旅をして原爆の火の輪を閉じた。
2001年メキシコにて、広島の原爆の日を囲んで祈る(P.133)
それは破壊の火が祈りの火へと変わっていくための変容のプロセスのようだった。そこで灯された祈りの火は、何度もの消失の危機を経ながら、心を込めて守ってくれた人々と平和を望み、人間の奥にあるつながりを信じる力によって運ばれていった。私はその火は日本のマインドフルネスの火のようだと思った。マインドフルネスの教えを伝えるにあったって苦難の時代にその火を大事に大事に守り運んできてくれた人がいた。風が吹く中で、吹き消そうという力が働く中で、あるいはその火を邪な目的で使おうとする人がいるなかで、火の持つ力に注意深くありながら、大事に守ってくれた人たちがいた。
その軸の中心にいたのはダーさんだったのだ。効率が求められ、強者の原理がますます強くなる世界の中で「愚の道」を歩もうとする人だった。
「人間社会の価値に基準を求めるのを『賢の道』とすれば、存在世界の基準によって生きるのは『愚の道』だ。…生きることは有用性では測れない。(p.255-256)」
その道を選ぶまでには多くの迷いと怖れと痛みがあった。苦しみと共に生きる中で、手放し、諦め、ゆだねた結果ダーさんがたどり着いたのが今の位置であり、今のダーさんだったのだ。その後ろにはたくさんの歴史があった。ダーさん自身の歴史であり、日本と世界の歴史だった。それぞれの章の後にレッスンがある。「今のままで十分に幸せになれる」「喜びの種に水やりをしよう」「弱さと開かれたとき強くなる」ダーさんが普段の講座で伝えている智慧、その背後に自身の経験が深く根付いていることが読み手に伝わってくる。ダーさんの身体と歴史の中から出てきた一つ一つの智慧。それが旅の過程を読むことでさらに響いてくる。非常に個別的な人生を深く見つめた奥にある普遍的な人生のレッスンがそこにはある。
この本を読んで「魂の継続する人」と言われた時のことを思い出した。あの時には私は何を継続する存在として見てもらっているのか分かっていなかった。でも、本を読んで伝わってきた。私はあの祈りの火を手渡されたのだ。ダーさんが巡礼者として、逆風の中で大事に大事に守ってきた火だったのだ。そこには多くの祈りがあった。でも、痛みと苦しみも多くあった。「温かな場」が存在するのは、その場を支えてくれる人がいたからだった。それは「あたたかな場を作ろう」と思ったから作られるのではない。一つの呼吸を見つめる営みを続けてくれた人の存在がいたからだった。一歩の歩みの中に平和を見出そうと、苦しみと向き合った人がいたからだった。ダーさんの歴史と、祈りと、痛みの経験なしには今の日本のプラムビレッジのコミュニティはないんだということを本を通して深く実感した。ダーさんがいなければ今の私はいない。私がここにいて、マインドフルネスの灯を手にすることができたのは、ダーさんを初めとする多くの先人の力があったからだった。ダーさんの本を読んでいると、それはまるで「自分がどこから来たのか」の旅の過程を読ませてもらっているようだった。ダーさんを初めとする多くの人々の歩みと思いの積み重ねで今、マインドフルネスが受け入れられる土壌が作られた。私自身が人生の中で、マインドフルネスとサンガとの出会いを通して経験した変容も、その土壌がなければ成立しなかった。それって奇跡。ダーさんが灯りを運んできてくれたから、だから私は助けられたんだな、と本を読んで実感した。そんなにありがたいことってない。
マインドフルネスのブームは欧米からやってきて、今の日本の中で「より効率的に働くための手段」として使われている部分もあるかもしれない。そんな時だからこそ、ダーさんの唱える「愚のマインドフルネス」が切実に必要だと思われる。日本の社会の中で現在起こっている様々な問題やその反動として起こっているムーヴメントもそのことをよく表しているように思う。「生産性のないものはいらない」ということを唱える人がいる、こんな時代だから色んな人に読んでほしい、力を抜いて、手放し、昇る生き方から降りる生き方を選んだ時に「そのままで幸せになれる」ということに出会えることを教えてくれる大切な本だから。
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