社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)
まがったキュウリ〔3〕 サンガくらぶ 藤田一照師×荻野淳也氏 対談講演を踏まえて
『まがったキュウリ』刊行への電話
昨日、青木喜宥さんから電話をもらった。
そして今日は、浅岡夫人から電話をもらった。
浅岡夫人とは、『まがったキュウリ』の翻訳者・浅岡定義さんの奥さんであり、
また、青木喜宥さんは、浅岡定義さんの代理人の方である。
二つの電話は、
『まがったキュウリ』を刊行したことへの
感謝の言葉であった。
二人とも、すごく感激していた。
出版社冥利に尽きるとは、このことだろう。
この本は今、Amazonの「禅入門」の
売れ筋ランキングで3位に入っている。
(手前味噌になってしまうが、
これまたサンガから刊行した
藤田一照/山下良道/ネルケ無方/永井均[著]
『哲学する仏教』は「禅入門」の2位である)
思えば、『禅マインド ビギナーズ・マインド』からはじまったこの縁は、
原題 ”NOT ALWAYS SO” の翻訳本である
『禅マインド ビギナーズ・マインド2』につながり、
今回の『まがったキュウリ』につながった。
このところ、鈴木俊隆がなぜこれほどまでに
アメリカ人の心をつかんだのか、考えていた。
YouTubeで鈴木俊隆を見てみると、
「Shunryu Suzuki Roshi」は、
なんと24万回も再生されている。
アメリカ人の愚直な修行
先日、『まがったキュウリ』の刊行記念として、
「第67回サンガくらぶ」で、
本書の監訳者である藤田一照さんと、
鈴木俊隆を憧憬する
MILiの荻野淳也さんの対談講演があった。
この対談でも話が出たが、
鈴木俊隆がアメリカにわたった1959年から1971年までの間は、
アメリカのヒッピー文化が、まさに花開いた時代だ。
それは、教えを説く鈴木俊隆と、
教えを聞くアメリカ人の若者の要求が
すっかり合致したからだという。
その一面は確かにあると思う。
それじゃあ、俊隆は、
アメリカ流に合わせて、
教えを説いたのかというと、
決してそんなことはない。
説法は英語でするが、般若心経は日本語で読み、
食事の作法も、日本の禅堂の作法そのものだ。
また、「40分坐禅して、10分経行して、
それからまた40分坐る」という
ワンセットも同じなのだが、
それを俊隆は、経行をすっ飛ばして、
連続90分坐らせ、
なおかつ他の用事をしながら、
90分が過ぎたあと、
1時間以上も追加で坐らせたという。
そのときの情景を、
著者のチャドウィックは
ものの見事に描いている。
このとき坐っていたみんなは、
俊隆の足音を聞き、坐禅そっちのけで、
「もうこれで終わるかな」と想う。
しかし、俊隆は禅堂を出ていってしまう。
また禅堂に来たかと思うと、
他の用事をして、
また出て行ってしまう。
僕は、テーラワーダ以前は
禅の修業をしていたので
このときに坐っていた人々の気持ちは、
痛いほど良くわかる。
「忍耐」という言葉からは、
程遠いように思えるこれらのアメリカ人。
しかし、アメリカ人は、
しっかり忍耐しようとしているのだ。
今の日本で仏教を求めるときの、
「あっちの教えはこうだ、こっちの教えはこうだ」
とフラフラしている態度とは、大違いに思える。
むしろ、アメリカ人のほうが、
もしかしたら、日本の禅堂よりも、
素直に、愚直に、修行しているなと思える。
GAFAを作った俊隆の禅
また、これも対談で出た話題なのだが、
カウンターカルチャーとしての禅が、
カウンターではなくなり、
メインストリームになった。
禅は、スタンフォード大学での講演で、
「Stay hungry, stay foolish」と言った
スティーヴ・ジョブスをも介して、
シリコンバレー文化を作っていった。
それは、GAFAに代表される、
世界を席巻する巨大なIT企業の原動力になった。
実に驚くに値することだ。
鈴木俊隆の教えは、基本的には
道元の「正法眼蔵」に基づくものだ
という話だったが、
彼のはにかむような表情や、
よく笑う魅力的な笑顔に触れたアメリカ人は、
俊隆のその所作、行動をみて、
以心伝心で教えを受けていたに違いない。
この以心伝心は、
本来、日本人のお家芸だったはずだが、
まさに今、日本人は失ってしまったかのように見える。
対談を聞いて僕は、
本当に鈴木俊隆の足跡を尋ねてみたくなった。
今なお、アメリカでは
『禅マインド ビギナーズ・マインド』は、
よく読み継がれている。
来年開催される
「WIsdom2.0 Japan」に
登壇する錚々たるメンバーも、
鈴木俊隆の影響を強く受けた人達らしい。
『禅マインド ビギナーズ・マインド』。
禅の心とは、初心者の心。
これは今、日本人が
もっとも取り戻すべき大切なものだと思う。