新進気鋭の仏教学者 川本佳苗こと、元・サヤレー・スナンダの
「ぶぶ漬けどうどすか?」
第5回「みんなの質問に答えます!仏教と自殺に関する研究書」
こんにちは、法名スナンダこと川本佳苗です。
夏まで過労で倒れていた私の近況ですが、秋からは復活して、9月は東京都内のはらみつ法友会の一日瞑想会にお邪魔して、8月にマンダレーで購入した仏像をお渡ししてきました! ちょっと大きめサイズの白い仏像を前からほしかったのです。皆さん大満足でした。
はらみつ法友会主催の一日瞑想会の様子
マンダレーのマハムニ・パゴダで値切りまくった仏像。
ミャンマー人に仏教関係の品物は半分お布施の意味合いもあるんだからそんなに値切る人はいないよ、
って笑われました...。
前回の第4回連載「あの人は、今どこに」でいろんな感想をいただきました。「救われました」「感動しました」などなど。私もとっても嬉しいです。有難うございました!
実は、私もこの原稿を自分で読みながら、つい泣いてしまうんです。まだまだ凡夫ですね。私もまだ悲しみを抱えて生きる一人ですよ。
自死遺族は、特に亡くなった方が自殺したために「悪業をつくる」「地獄へ行く」「殺人と同じぐらい悪を犯した」という恐怖と悲しみに苦しんでいらっしゃいます。
でも、子供や家族を亡くした遺族に「短命に終わる寿命もその人のもつ業ですから」「死は全ての人に平等にやってくるものですから」「自殺するとなかなか人間に生まれ変われません」と、さらっと言ってしまう仏教者がいるんです。そういう見解もまた仏教思想に即しているのかもしれません。けど、そう言われて愛しい人を亡くした遺族は救われるでしょうか? よけいに悲しみが増すだけではないでしょうか?
私は、もちろん自分自身が前に進みたい気持ちもあったけど、何よりも私が失った大切な人たちの死を「悪業」という言葉一つで片付けたくなかったのです。それでは彼らが浮かばれません。
だから、私は自分に出来ることとして「仏教と自殺」のテーマで研究を始めました。それが、亡くなった人たちに対する私なりの「お弔いの方法」になると、私なりの祈りになると信じたからです。「みていてね、きっと私が『自殺は悪業である』以外の解釈を導いてみせるから!」という気概と信念ををもって研究し続けてきました。
今からお話しすることは、私が博士論文で研究した一部なのですが、比丘が守るルールブックである『律蔵』は、一つ一つの律が制定されるとき、制定に至った物語(因縁譚)から始まります。「殺生戒」(殺人の禁止)の因縁譚では、大勢の比丘が殺しあったり自殺したりしたのに、仏陀は彼らを止めずに2週間一人で隠遁していたそうなんです。不可解ですよね。どうしてなんでしょうね?
「殺生戒」に関する注釈書によると、仏陀は実は神通力でその夜から大勢の比丘が殺しあったり自殺したりすると予見していたのに、あえて止めなかったそうなのです。それはその比丘たちの過去世の悪業で、そうせざるをえなかったから。業が熟して現れる結果は仏陀でも止められないと、注釈書の著者(ブッダゴーサ)は記しています。
でもこれって、ブッダゴーサの解釈ですよね。『律蔵』自体には比丘たちがなぜ自殺したのか、仏陀がなぜ比丘たちを止めなかったのか、ミステリーのままです。注釈書の解釈は、この不合理を何とか正当化しようと苦心した結果だと、私は思っています。
必ず人を自殺に向かわせるような、人が自殺せざるをえないような業が本質的に存在するのかどうか、私には分かりません。仏陀もつねづねおっしゃっていますけど、今あるできごとがあなたに起きたとして、それが過去のどの業の結果から引き起こされたのかを考えることなんて難しいし、ムダなことです。
大切なことは、生きている私たちが、亡くなった人たちのために何ができるかを、建設的に考えることではないでしょうか。私たちが彼らの未来のために、彼らの将来の生のために何ができるかということです。それは「廻向」(えこう)しかないんです。
誰も他人の業を代わりに背負ってあげることはできません。誰も他人の業と自分の業を交換することはできません。でも、私たちが善い行いをしたら、それを他の人にもターンしてあげる、またはシェアしてあげることはできます。それが廻向の考え方です。
私たち生きている者が少しでも善い行いを続けて、善い人になっていって、そのたびに亡くなった人たちに廻向してあげましょう。だから、まだ命のある私たちは、死ぬまでずっと善い人になるために努力するんです。解脱という仏教徒の最終ゴールに向かって。
「自殺は悪業」―――確かに「死にたい」という欲望は悪です。というか、どんな世俗的な欲望であれ、それは執着です。でも、自殺したいほど苦しんでいる人を前にして、私は「そんな思いは執着ですよ」「悪業ですよ」などど口が裂けても言えません。その苦しみは、私の中にもあなたの中にも潜在する普遍的な苦なのです。輪廻せざるをえなかった、生まれてこざるをえなかった全ての生物が等しくもつ苦しみなのです。
だから、私は自殺してしまった人と自殺せずにすんで生きている私たちとの間に、特別な差はないと思っています。ただ一瞬のスキにうっかりネガティブな考えに心を奪われて、アクションを起こしてしまったのです。その「うっかり」は一瞬の事故のようなものですから、その死は自殺でありながら事故死でもあると思っています。もちろん事故もまた過去の業果なのでしょうけど...。
さてさて、前回の連載に対して日本仏教の僧侶Uさんから質問をいただきました。
質問:仏教関係で自殺を論じた本や論文がありましたら、是非紹介くださいませんか。英語でも結構です。
Uさんは、ご質問以外にもご自身の仏教や自殺に対する思いを書いてくださっていました。私のような見ず知らずの者に勇気をもって思いをお伝えくださって、有難うございました。私をそのように信頼してくださったことが嬉しいです。
うーん、これは「学術的」な研究書ということでよろしいのでしょうか? とりあえずザッとリストアップしてみます。
名和隆乾. 「チャンナの自殺」『待兼山論叢 』45.
後で紹介していますダミアン・キーオンの論文と同じく、『チャンナ経』におけるチャンナ比丘の自殺について論じていらっしゃいます。
モーリス・パンゲ. 『自死の日本史』講談社.
仏教における自殺の研究書ではありませんが、日本人独特の死生観、とくに自殺観を、フランス人という外側のパンゲ氏が日本文化に敬意を示しながら描いていらっしゃいます。
杉本卓洲. 『五戒の周辺--インド的生のダイナミズム』平楽寺書店.
殺生戒についての分析があります。
川本佳苗. 「仏教倫理」と道徳的善悪:自殺は殺生であるか?」『宗教と倫理』 18.
http://jare.jp/admin/wp-content/uploads/2019/01/Kawamoto-religion-ethics18.pdf
手前味噌ですみませんっ。私の日本語論文です。
川本佳苗. 「パーリ経典に描かれる比丘の自殺と対話の意義―<生き様>の物語―」『別冊サンガジャパン』4.
Peter Harvey. An Introduction to Buddhist Ethics: Foundations, Values and Issues. Cambridge University Press;
仏教倫理を研究する者なら皆が読んで通る、基本中の基本書です。自殺についての章は、現代ではいささかクラシックな意見だなーと思いますけど、やはり仏教文献や現代の実践における自殺自例を網羅している、皆が読むべき必携書です。
Martin Delhey. “Views on Suicide in Buddhism: Some Remarks”. LIRI Seminar Proceedings Series 2. Michael Zimmermann, ed. Lumpini: Lumpini International Research Institute, 2006.
Damien Keown. “Buddhism and Suicide: The Case of Channa”. Journal of Buddhist Ethics 3.
『チャンナ経』で説かれるチャンナ比丘の自殺についての考察です。
あと、書籍ではありませんけど、自殺防止活動に奔走なさる日本人の臨済宗僧侶の根本一徹氏に密着したドキュメンタリーが2 作ございます。
ラナ・ウィルソン監督.『いのちの心呼吸』
VICE UK in partnership with UBS Unlimited. The Ritual Death.
他にも、これまでの連載についての質問や、私に質問したいこと、ミャンマー仏教で知りたいこと、連載で取り上げてほしいこと、感想などがございましたら、メールアドレス[info@samgha.co.jp]宛に件名「ぶぶ漬け」と書いて送ってくださいね!
それと、記事のリクエストをいただいてたので、年内にもう一つ連載記事を書けたらいいなと思っています。12月28日から1月5日まで、ディーパンカラ・サヤレーの通訳を務めますので、それまでに頑張ります!皆さまとも瞑想合宿でお会いできるでしょうか?楽しみにしています!
慈悲をこめて、
スナンダこと川本佳苗
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川本佳苗(かわもと・かなえ)
京都府出身。出家名スナンダ。京都大学東南アジア地域研究研究所研究員。専門は仏教倫理(自殺・自死)と東南アジアの瞑想実践・仏教文化。2008年よりミャンマーの国際テーラワーダ布教大学に留学し、パオ(パーアゥッ)瞑想院で尼僧として修行する。2014年にタイのマハーチュラーロンコーン大学で修士号を取得後、日本学術振興会特別研究員(DC)・ベルン大学宗教学研究所研究員を経て、2017年に龍谷大学大学院で博士号を取得。国内外で広く活動し、”Love Incessantly Flows: Mae Naak, a New Asian Opera Heroine Born outof a Thai Buddhist Narrative“(Contemporary Buddhism、2017)、「パーリ経典に描かれる比丘の自殺と対話の意義」(『別冊サンガジャパン④ 死と輪廻』、2018)など多数の論文を発表。『K.N.ジャヤティラカ博士論文集 第1巻』を翻訳。
Website: https://kyoto.cseas.kyoto-u.ac.jp/organization/staff-2/kawamoto/
『サンガジャパンVol.34お金』(2019年12月末刊行)では、スナンダ節でサヤレー時代のお金にまつわる苦労話を書いています。