サラナ サラナ

 

黒田崇裕 
2020年1月ミャンマー滞在記
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 黒田崇裕と言います。東京生まれ東京在住、男性30代です。2007年にスマナサーラ長老と出会いました。長老が教えて下さった仏教が日本に根付いたらいいなと思っています。

最近2020年1月にミャンマーを訪問したので、その様子を紹介します。


 ヤンゴンのマハーシ瞑想センターで、朝食と昼食のお布施をした。

 マハーシにいる長老・比丘・在家修行者・ボランティアスタッフ全員分の食事のお布施だ。日本からわざわざお布施に来たので、マハーシの長老・在家スタッフの方がとても喜んでくれた。ボランティアスタッフは、若い子からおばあちゃんまで住み込みで働いている。給料はない。たまに基金からお小遣い程度が出るらしい。経理などの事務員は、会社を定年退職した大卒の方が低い給料で働いている。年金があるから大丈夫らしい。55人いるボランティアスタッフにもお布施をした。給料は無くても寝るところと食べるものはある。それに仏教を支える事に協力している。嫌々やっている感じは全くない。スタッフの表情は穏やかで笑顔が澄んでいるように見えた。食事のお布施にかかった費用は、朝食のお布施286人分、508,000チャット(約38,000円)。昼食のお布施221人分、2,034,000チャット(約152,500円)。日本の物価から考えると安い。

旅の目的

 今回の旅の目的は、お布施と観光、ミャンマーのテーラワーダ仏教文化の勉強だった。 

 バゴーという地方にあるチャッカワイン僧院を見学した。

 ここは古くからある有名な学問寺で、三百数十人の沙弥・比丘がいる。一番若い子で11歳ぐらい。小学生・中学生・高校生の年代の沙弥が多数を占めていた。夕方5時から始まる読経では、大勢の若いお坊さんが元気な声を出していて迫力があった。復習の授業風景も見学した。ここでも元気な声でお経らしきものを暗唱していた。厳しい表情をした先生が教室の中央を行ったり来たり往復しているのが印象的だった。まさに先生という感じだった。

  マハーシ瞑想センターの托鉢風景を見学した。

 朝食が終わった後、まだ暗いうちから比丘が一列に整列する。昼食のための托鉢だ。45分~1時間かけてヤンゴンの町へ托鉢に行く。
お布施されるのは昼食のための白米やおかずなどで、大量の白米は瞑想センターに帰ってきてから大きな鍋に集める。昼食のお布施をする人は別にいるので、その時に一緒に食べる。
ちなみに余ったおかず・ご飯は、八戒を受けないスタッフもいるので、その方々が食べる(八戒を受けた者は、お昼以降食事を摂らない)。托鉢の終盤に、お坊さんの為に飲み水をコップに入れて用意している家庭があった。

 ヤンゴン郊外の尼寺に行った。

 一番年上の子で中学生くらい。親のいない子や、親がアルコール中毒などの子達を引き取ってくるらしい。そのままいけば売春婦となりエイズに感染する可能性もある。ミャンマーでは、尼寺にお布施する人は少ない。一般的には男性の比丘サンガにお布施する。 自分も尼寺の話を聞くまでは、尼寺にお布施しようというアイデアは浮かばなかった。訪ねたお寺の尼様は、無私の心でお経を毎日唱えていたらお布施が集まるようになったと仰っていた。ピイという地方の尼さんは有名で、その地方では比丘と同じような衣を着ているらしい。ヤンゴンなどは皆ピンク色の衣を着ている。


 第六回目の結集が行われた人工洞窟に行った。

 今は丁度、年に一回行われる試験の会場となっていた。1949年頃から始まったこの試験は、現在までの70年間でたったの14名しか合格者を出していない。内4名は既に他界。三蔵法師の資格を得るための試験だ。この試験を受けるためには、ダンマシリヤ?という試験に合格しているのが条件で、その試験も難しいらしい。70年間で14名の合格者なので、ほぼ毎年合格者なしであることが想像できる。試験期間は1ヶ月間。試験官2人と記録係1人の、3対1の体制で行われる。質問を出されて、「うーん」とか悩んだらアウト。御手付きは5回まで。三蔵と注釈書が頭に入っていないと合格できない。激ヤバな試験だと思った。

感動する風景

 自分が仏教の風景の中で感動するものが3つある。

1つ目が「托鉢」。初めて托鉢を実際に見たのは2014年のサンガツアーでタイに行った時だった。貧しいと予想される農村の人々が、朝早くに托鉢に来るお坊さんのために食事を用意している。その在家仏教徒の敬虔な姿にとても感動し、仏教がどのように今日まで続いてきたのかをリアルに感じることができた。それと同時に、衣の重さを痛烈に感じた。その重みは、僧侶を敬い、跪き合掌している農村の人々の姿を見て理解できた。
2二つ目が、パゴダの前に座り合掌し、お経をあげたり、静かにしている「ミャンマー仏教徒の敬虔な姿」だ。各々が、真摯に自分と向き合っているように見えてとても感動する。
3三つ目が、「両親に三拝する姿」だ。

 ミャンマー人の、人と人との敷居の低さを見て勉強になった。知らない人でも、お互い助け合う事が当たり前で自然な事のように感じた。生命は皆平等で、お互い仲間という意識が根底に流れているように思えた。日本だと電話一つかけるのに躊躇してしまう自分がいる。自分をオープンにして相手を信頼すれば、もっと気楽に気持ちよく生きられるのだと思う。

 ミャンマーのお寺には誰でも入っていける。敷居がない。完全にオープンだ。来る者に対する条件や差別はない。お寺を人に例えて言うなら「私」がない。テーラワーダの国々の気楽さ、居心地の良さの秘密はそこら辺にあるのかもしれない。

 今回、サンガ出版の五十嵐さんから旅行の経験を多くの人に知ってもらいませんかとご提案頂いた。どうもありがとうございました。

 

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