無我の見方〜「私」から自由になる生き方〜
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商品コード: 300100
発売日:2015年1月23日
著者:アルボムッレ・スマナサーラ
ISBN:9784865640106 C0215
新書サイズ 本文217ページ
本当のアイデンティティとは何か?
私たちは、ありもしない自我、永遠不滅で絶対に変わらない魂という妄想概念にしがみついてはいけないのです。これが人間だと言える確固とした実体があるという先入見によりかかることなく、「自分という流れ」をしっかり管理して、自分にも他人にも役に立つ人間にならなければなりません。そのために自分の道を探すのが、本当の「自分探し」です。自分の、そして他人の役に立つための方法こそが、自分の本当のアイデンティティとなるのです。(本文より)
電子書籍
Kindle版目次
はじめに
- お釈迦さまの無我論
序章 私たちはなぜ無我を学ぶ必要があるのか
- なぜ「自分探し」や「アイデンティティ」が必要とされるのか
- なぜ社会は個性を出すことを求めるのか
- 意欲が起きなければ個性も発揮できない
- 社会に学び、社会に貢献すること
- 個性が見つけられない理由
- 自分と言うものはない、ただ行為はある
- 個性とは、アイデンティティとは
- アイデンティティを活かすには
- 自我を主張すると、自分というシステムを壊す
- そもそも自我とは何なのか
- 自我を探してはいけない
- 無我を知ることで人間の問題はすべて解決する
第1章 「無我」の理解を困難にするもの
- 「自我」は宗教家がつくりだした概念
- 様々な自我論の登場
- 「我」と「アートマン(塊)」
- 「命たる本質」を理解いしているか?
- 魂についての奇妙な考え方
- 魂とは、実在すると信じられているもの
- 魂とは、その存在を証明できないもの
- 魂論は神と同じ構図
- 魂は神の”支店”
- 正常な人には照明できない魂の存在
- 魂信仰の長い長い歴史
- 「あるだろう」から「あるはずだ」へ
- それでも「魂はある」という前提で世界はできている
第2章 「無我」が理解できない理由――仏教的な見解
- 現象は「生ー滅」の流れ
- 感覚器官も「生ー滅」の流れでできている
- 耳が「有」で、音も「有」の時に、音の感覚が生まれる
- 現象の四分の一しか認識できない
- すべては「ある」という立場からの知識
- 「ない」も「ある」の引き算
- 「私がいる」という実感
- 貪瞋痴の感情が「自我」「霊魂」「魂」という錯覚をつくる
- そこから「我論」「天国と地獄」「永遠の命」などへ膨らます
- 生きていたいという欲と、死にたくはないという怒り
第3章 「無我」という真理の発見
- 答えが見つからないのは方法が間違っているから
- 誰も本当のことはわからない
- 「我」ではなく「無我」
- アートマン(我)はない――五蘊・五執蘊
- アートマン(我)はない――六根・六境
- 無常だから無我
- 諸行無常・諸法無我、涅槃もまた無我
- 無常・苦・無我――三法印・三相
- 因縁(因果法則)――原因がなくなれば結果も無くなる
- 覚りの結論
第4章 「無我」だからこそ人は善く生きられる
- 「無我」の「我」とはアートマン
- 「自分」とは因縁の流れ
- 矛盾する「我」という概念
- 「我」論が犯罪を生む
- 無我だからこそ人は変われる
- 川は流れているからこそ「有る」といえる
- 自分という流れを汚さないこと
- 本当の個性、アイデンティティとは
終章 自我論は便利な道具
- 宗教家の専売特許
- 脅しのネタに使われる自我
- 神と魂(自我)が政治を動かす
- 無我と政治
- 唯物論の無我と仏教の無我との違い/li>
- 仏教徒と唯物論者が出会った時
- なぜ、あの世は存在しないと言うのか?
- あの世を報告した人はいない
- 「天国があるならさっさと死ねばいいのに」
- 人体実験で「魂の実在」を調べる
- 「魂」否定は正しい。「業報」否定は間違い
- 方法論の間違いを指摘する「法螺貝のたとえ」
- 仏教徒と唯物論者はなぜ対話に苦しんだのか
- 無我は「覚り」である
Q&A 「無我」への疑問に答える
- ●ブッダの教えは勇気を与える
- ●人生はシャボン玉
- ●無我を認識する瞬間
- ●お釈迦さまの教えのメインテーマ
- ●輪廻転生は事実です。/li>
- ●ミリンダ王とナーガセーナ長老の問答
- ●無我と輪廻転生は切っても切れない
- ●万物流転と輪廻転生
- ●輪廻転生の理解には「因果法則の発見」が必要
- ●業ではなく愛着を無くせ
- ●無執着と無常はコインの裏と表
- ●無我と価値観
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